昨日、北田暁大さんのところに書き込みした。「生物学では儀礼的に論文を引用しあうようです」というコメントがかかれて、えー、そんなことないよ、と思ったので。

で、そのついでに北田さんのほかの記事を探して読んでみた。
2003年10月17日東大社会情報研究所におけるシンポジウムでの講演のトランスクリプト

[引用]

私としては、これどっちか、人間化か、それとも動物化を前提とするか、というのに決着をつけるべきではなく、やはり両方とも、すごくお利口な答えですけれども、優等生的な答えですが、その両者の両側面攻撃、やはりジャーナリズム教育みたいなものを充実させていくと同時に、新たなメディアといったものを使ったネットワークの構築みたいなものを、単にインターネットというのは闇の世界だというふうに言い続けるのではなくジャーナリズムを考えていく、そういった時代が現在なのではないかなというふうに考えております。

ジャーナリズムに限った話ではなくて、生物学における情報インフレ、でも似たような事態になっている、と思った。ゲノム・プロジェクトといわれる一連の動き、そしてその動きの中から生まれた「システム生物学」は、情報の切り貼り(遺伝子コードのさまざまな組み合わせ)で、なにかがわかるのではないか、という計算機上の研究(in silico)である。

この「システム生物学(@ゲノムプロジェクト)」は、システマチックに生物の研究をしましょう、ということだと私は理解している。この手法は、錯綜・断片化した情報をある程度体系化するだろう。意味がある。でもこの手法には自ずと限界があるのではないか。

システム生物学は、生物のシステムとは何か、という研究であるべきだ、と私は思っている。システマチックに研究をする、ということではなくて。なにしろ、生物のシステムは人間が未だ理解していないシステムなのだ。その未知のシステムに対する検証をはしょって、人間の思考にとってシステマチックと思える方法でアプローチをかけても、複雑な分類学にしかならないのである。生物のシステムとはいかなるものなのか、という問いからは、一段ずれてしまうだろう。だから私の場合の「新たなメディアといったものを使ったネットワークの構築」は、生物のシステムとはいかなるものなのか、という問いにおける体系化である。

それにしても、上のトランスクリプトをアップしたUSKさんのところ、いろいろ読んだのだけどすぐに土下座したくなっちゃうところがイイ! 読んでいて、「土下座したくなる」が出現すると、待ち構えていた私は「でたあ!」と喜んでしまうのだった。