親子活躍

GFP緑色蛍光タンパク質)の発見者といえば、下村脩さんである。遺伝子導入によって特定タンパク質をGFPでラベルし、生きた細胞で発現、タンパク質の挙動を計測する技術は1990年代後半移行の生物学を決定的に変えてしまった。このことでどれだけあたらしいことがわかったか、というのは別の話だが*1、直感的把握される顕微鏡下の細胞の姿をラジカルに変革した点は評価しすぎてもしすぎることはないといってよいだろう*2。そのそもそもの発光タンパク質を1962年に発見したのが下村脩さん*3という話は結構しっていたのだが、この人の息子がケビン・ミトニックとのハッカー対決で有名になった下村努さんだ、というのはずっと気がつかなかった。当時ニューズウィークに写真付きでこの対決が紹介されたときには、仮面ライダーっぽい顔つきもあいまってなんつーかっこいい人がいるのだ、と思ったものだ。CVみたら、カルテクでファインマンに教わっているのかー。それにしても凄い親子がいるものである。

下村脩先生は昭和26年長崎大学薬学部のご出身で、生物発光研究の第一人者です。主な研究は渡米後に行なわれたもので、発光クラゲであるオワンクラゲからのイクオリンGFP (Green Fluorescent Protein) の発見とその発光メカニズムの研究が今回の受賞につながっています。この一般には耳慣れないGFPの研究は、生物発光研究の分野にとどまらず、生命科学研究の今日の発展には欠かすことのできない道具として極めて大きな影響を与えました。下村先生は、プリンストン大学ボストン大学・ウッズホール海洋生物学研究所 (MBL) などに在籍し、オワンクラゲの研究は主にプリンストン大学時代に、ワシントン大学のフライデーハーバー研究所での成果です。(ご存知のようにプリンストン大学ニュージャージーにありますが、おそらく、オワンクラゲをワシントンまで採りに行っていたのだと思います。詳しい方がいましたら教えてくださいと書きましたが、下村先生ご自身からのご寄稿による1995年の同窓会報第35号の記事「発光生物研究40年」を是非お読みください。)
下村脩先生の朝日賞贈呈式

Tsutomu Shimomura(下村努
サンディエゴ・スーパーコンピューティング・センターで競争原理を専門とするシニアリサーチャー。「史上最悪のハッカー」を追いつめた日本人として知られる。Kevin Mitnickが彼のコンピュータから情報を盗み出したのをきっかけにハッカー探しに打ち込み、Mitnickがノース・カロライナ州ローリー界隈に住んでいることを突き止める。無線電話の周波数探知機を使って居場所をかなりの範囲まで狭めたうえでFBIに通報。この追跡劇は下村氏とニューヨークタイムズ紙の記者、ジョン・マーコフ共著「テイクダウン - 若き天才日本人学者VS超大物ハッカー」(邦訳徳間書店刊)として書物化、映画化されている。

主なハッカー
http://www.viruslistjp.com/hackers/153350068

上の引用にある下村努さんの手記はこちら。絶版で古本しかないのかな。

テイクダウン―若き天才日本人学者vs超大物ハッカー〈上〉

テイクダウン―若き天才日本人学者vs超大物ハッカー〈上〉

*1:それ以前の蛍光抗体法の段階ですでにいろいろ重要なことはある程度わかってしまったと思ったりする

*2:Chenと一緒にノーベル賞とるんじゃないかな

*3:Shimomura O; JOHNSON FH;SAIGA Y. (1962). “Extraction, purification and properties of aequorin, a bioluminescent protein from the luminous hydromedusan, Aequorea”. J Cell Comp Physiol 59: 223-39.