コンビニエンス国家

死ぬ死ぬ詐欺”という言葉で、海外での難病治療に必要な費用を補填するための募金活動を批判するネット上の活動があるのを最近になって知った。こうした目的をもつ募金活動自体は時々目にするので珍しいこととも思わないが、その募金活動を微に入り細にわたり検証している状況はこれまで私はあまり見たことがない。そんなわけで、あちらこちらざらざらと見てまわった。「募金活動といいつつ過剰にカネをあつめているのではないか」といった批判がある。これすなわち”詐欺”であると称するわけであるが、この批判の根拠として、病人である子供の両親の勤務先がNHKであり高給取りであろうこととか、具体的に治療と予後にかかる費用の吟味、ならびにこれに関連するが募金活動の母体である「さくらちゃんを救う会事務局」の会計明細が公開されていない、といった点が挙げられている。こうした詳細をめぐってあちらこちらで議論が戦わされ、給与推定の確度を互いにこきおろすといった場面も見られる。まあ、これだったらもhしかしたら金の一部はあまるかもなあ、と思ったりするし、そうでもないかもしれない。私にはよくわからない。
それよりも私が思ったのは、こうした細かい議論や、結論効率の低下を回避するために国家なるものが存在しているということだ*1。今回の件に関していえば、憲法は次のような国の機能を明文化している。

憲法25条
第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国はすべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

したがって、病人がいるのだから国の機能はなんとかしてその病人を助けるのがスジ、ということになる。現行法では海外における治療は国によるサポートをうけることができない。だとしたら、国がサポートできるようなシステムに国家機能の一部を改善すればよいのである*2
またこのように考えれば、病人の両親が募金活動によるサポートが必要かどうかという判断は、徴税システムの一部に含まれることになる。給料がたかければ高いほど、とられる税金も多い、というのが目下の日本なのであり、ましてやサラリーマンであるNHK社員ならば、税金は天引きであって脱税している可能性はきわめて低い。ネット上で収入に比較して募金活動が妥当かどうかという議論を戦わせる労はこうして行政機関によるシステマチックな徴税にとってかわるわけだ*3。そして、その財源をもとに病気になった人間はもれなくサポートしてもらえる。もしそのサポートが不十分ならば、さらにそのシステムを見直すべき、ということになる。この場合”募金”=徴税は余るかどうかということではない。余剰があるならば別の社会的な目的にまわされることになる。あるいは、別の病人を助けるために、である。
こうした考え方は不自然だろうか。ネットでは私が見た限りあまりみかけなかった。それというのも我々が国家のスペックにあまりに絶望しているから、ということも推察できる。でも、だったらなんのための国家だろうか。北朝鮮の核の脅威に対応するためだけではないのだ。国家は便利であるべき、なのである。

*1:別のいいかたをすると、今回の議論は国家において福祉はいかにあるべきか、という議論に類似している。"あくまでもジコセキニン"云々、ないし募金(税ともいえる)はいかに運用されるべきか- これは監査に相当するだろう- とか。議論の複雑化は、あたかもそこに国家の行政機能がないかのごとき、スクラッチからの行政機能立ち上げ、およびその批判に相当する議論になってしまっているからである。いや、それはそれでアナーキーでいいんだけど、そのまえにこの問題点において国家機能が形骸化しているということは念頭にいたらいいんじゃないか。

*2:もちろん臓器移植の妥当性など医療人類学的な問題点はある。ここではその点を捨象し、国家機能という点から考えている。

*3:このあたりの組織図をながめていたら、行政組織のミニチュアとしかいいようがない。だとしたら、本論で述べたように国家のありかたをみつめなおすか、あるいは現状のような中央集権行政組織は停止して分散NPOシステムのような行政のありかたを真面目に考え、不正にパブリックなカネが使用されることを阻止するシステムを考案することである。