近況 

  • 昨日は聖マルチンの日という子供のためのランタンぶらさげて練り歩く日。聖マルチンは、自分も貧乏人なのに他の貧乏人に施したというヒーローなのだそうだ。無珍先生もランタンを持たされて(5秒ぐらいしかもてなかった)、パレード参加。フランスではこの行事やらないそうである。ジャック・オー・ランタンもあったりして、各国文化混迷。
  • 車検を通すのに三日、修理工場に詣でる。保険でフロントガラスの全交換するのに遠方の指定の工場までいったりしてやっと通過。車検中の代車とか車引き取りサービスがないので、無珍先生の送迎と組み合わせるのはかなりの難儀。近所に住んでいるルーマニア人の友達にいろいろ助けてもらう。
  • そうこうしている間に洗濯機が壊れた。これまた車がない時期に重なって、買いに行くだけでも難行苦行
  • 日本から大学院時代の友人がうちの研究所であった学会の招待講演者として来訪。学会半分、我が家半分ぐらいの勢いで無珍先生と遊んでいってくれる。
  • マールブルクから友人カップル来訪。昨年ナポリで結婚したカップル。奥さんがナポリ大学准教授なんで、また別居開始だという。
  • ローザンヌから日本の大学院の後輩家族来訪。めでたくポジションを日本にゲットとのこと。小さな娘さんが無珍先生をえらく気に入ってくれた。まだ歩くのもたいへんなのにお姉さんらしく無珍先生を守ろうとする態度に感動。きっといい女になるぞ。
  • 語学学校の日本人留学生が三人家に飯を食いに来た。いわしのスペイン風鉄板焼きを供した。魚にとても飢えていたんだろうなあ、えらくよろこんでいた。いつも相手にしている年下というと大学院生なので、大学生は子供にみえてしまう。
  • 学会で日本に行ったフランス人PIの家で飯。旅館とかの手配を手伝ったのでそのお礼を兼ねて、と東京や京都の写真を眺める。デパートの丸井を「オイオイ」と呼んでいた。「OIOI」をそのまま読んだらたしかにそうだよなあ。
  • 女性の自己実現と、不幸の取り引き」。私は女性ではないので直接関係ないが、やもめで0歳の子持ちの不幸な男だと思われつづけるのも困るよな、と思ったりすることがある。不幸な状況を見越してものすごく悲しげな顔で「大変でしょう」といわれると、そんなことないですよー、とニコニコすることにしている。大変だからってあまりにそれにすがっていると乞食みたいだしなあ。心意気は貧者聖マルチンのごとくもちたいものである。仕事中心の自己実現はもう無理かもな、と思ったりする。でもそのことを悲しいとも不幸とも思わない。人生おさき真っ暗、でもどうにかなる、と常に思ってきたからかもしれない。

語学学校でドイツ語を勉強している大学生が日本での焼肉屋バイトの話をしてくれた。客がなにかを頼まれたら、必ず「すぐお持ちします」と、応えなければいけないのだそうである。たとえ彼女が「あ、それは時間がかかるな」と明白に知っていたとしても「すぐお持ちします」とこたえる。なおかつ、逆になにかを配膳したときには、どんなにその対応がすばやくても必ず「お待たせいたしました」。要するに嘘をつかなければならない。そりゃ接客業なんだからあたりまえだという世間慣れした意見もあるだろうが、発する言葉と意識の内容がかくのごとく乖離している行動の反復は、言語感覚をボロボロにするのではないか。店の従業員のみならず客自身の言語感覚も。ホンネとたてまえ、という枠組みはどこの国でもあるものである。米国だったら「常にハッピーであること」がタテマエである。ドイツであれば「仕事はしかたなくしている」がタテマエ。欧米全体では「バカンスはすばらしい」(カナダ人の友達と「実はバカンス行くよりも家でなんかしているほうが楽しいんだよなー」とコソコソとうちあけあってほっとしたことがある)。とはいえ、前に保土ヶ谷バイパスを運転しているときにも思ったことを書いたが、つくづく、日本の言葉は不幸な目にあっている。