無珍先生の帰還

無珍先生がドイツに帰還して3ヶ月半になる。彼は結局、1年を日本で過ごしわたしのもとに戻ってきた。戻ってきた、というよりも、あれやこれやの大人の事情で戻すことにした、というのが正しい。5歳の子供はまだ、悲しいほどに素直で泣きたくなるほど大人の言うなりなのである。実質上の母親である義理の妹との別れも、意外なほどあっさりしたものだった − というよりも、別れの悲しみという表象はまだ彼の中に確立していないのかもしれない。わたしが一年前、彼にしばしのわかれを告げた時に、表情もかえずにナミダだけボロボロと流したように。悲しみもまた、人間が学ぶなにがしかの表象なのである。

一年経って彼はすっかり少年になった。細いからだから弾けるようなエネルギーで突然走りだし、みるみる遠くまで走っていった向こう側から手をふって「はやくきてよ」せかす。そうかと思うと、先を行くわたしに「待ってっていっているでしょ」と半泣きになる。

1年の間に水で洗ったようにすっかり忘れたドイツ語もあっという間に回復した。家でドイツ語まじりで喋り出すたびに、「家では日本語だよ」とわたしは諭す。そういいながら、わたしがしゃべる言葉の端々にドイツ語の単語が混じっているのにあらためて気が付かされたりする。

無珍先生のベッドの横には日本の幼稚園のクラスメイトたちとの集合写真が飾ってある。彼が自分でそこにおいたのだ。彼にとって日本はなんだったんだろう、と、寝顔とその集合写真を見比べながら思う。日本での彼は他でもない、普通の日本の幼稚園児だった。とてもわかりやすい、あの、日本の幼稚園児。最初の一ヶ月は「日本の幼稚園がいい」とこぼしていたが、いまではそういうこともなくなった。日本から持ってきた自分の自転車を一生懸命こぎながら、ドイツのとうもろこし畑の間の道を走り抜ける。

栄養のバランスはいいのだろうか。母親不在で育てることで「自信」の形成は損なわれていないだろうか。言葉をちゃんと覚えることができるだろうか。あれやこれやとハラハラやきもきするわたしをよそに、はるかに柔軟な5歳児は今日もまた元気に森のなかを走っていって「パパあ、早く来て!」といらだちの甲高い叫び声を上げるのだろう。わたしは、はいはいといいながら、ようやくそれを追いかける。なにかに戻ったのはわたし自身かもしれない。