愛国パッケージ通過中

教育基本法改正案は、憲法草案との整合性をチェック済みであるという文科相の発言はあまり不思議な発言ではない。文科相自身、あたりまえのこととして述べたのだろう。このあたりの背景は、こちらのKouさん(秋扇巵言)による力作「教育基本法改正と公共精神」を読んでいただければ、それが戦後以来の数十年の歴史の中に位置づけられる話しであることがわかるだろう。日教組撲滅などという虚飾は実になまやさしいその場限りのウソで、あたかもそれが重大なことであるかのように論じる教育再生会議や政治家の詐欺師ぶりにはあっけにとられるしかない。
簡単にいえば、国民が体制に盲従することを規定する憲法と、そのことに疑問を抱かない国民を供給するマシーンである教育の両輪だ。このクラシックなシステムがどれだけ日本の政治家・官僚・財界などのエスタブリッシュメントにとって都合がいいのかは、別に説明するまでもない。のであるが、抽象的な点だけをいえば、あらゆるロジック(科学をも含む)、合理性は憲法前文に予定されている「国への愛情」のアンチロジックなブラックホールに究極のところで吸い込まれ、その意味を喪失するのである。
保坂さんのところにアップされる日々の国会の様子をみていれば、教育基本法だけでなく次々にこうしたエスタブリッシュメントに都合がよいだけのシステムが急速にブラッシュアップされつつあるのを眺めることができる。もちろん今形成されているのはフレームである。日本に住む人間がそのことを実感し始めるのはまだ少々先のことだろう。いや、気づかぬかも知れぬ。踏み込んでいえば、奴隷であることはラクである。疑問を抱きさえしなければものすごくラクなのだ。気づかぬうちにその隷属の安寧のひたるのは幸せといえば幸せだろう。
教育基本法の改定に賛成の国民は実に20パーセント、という統計も私はみかけた。それでもこの改定はいずれ成立するだろう。なにしろ代議制は骨抜きになっている。たとえば私が目下最も問題である、というか、この数年のうちの最大の日本政府による犯罪であると思うのは、タウンミーティングのやらせ事件である。徹底解明すべしであり、魚の小骨も見逃さぬ勢いでお白洲にひったてるべきだ、と思う。これだけの大事件がおきたのに、それがなにやらテレビ番組のやらせとあまり変わらないように話題が下火になってしまったのは(いや、物理的に同じテレビ画面にうつるのだから同じやらせ、として並置してしまうのである)、日本政府に税金を払っている人間がすでに半ば奴隷状態にあることの兆候ではあるのだが、代議制の崩壊がすでに暗黙の前提になっている諦念でもあるのだと思う。
私が少々疑問に思うのは、こうしたウルトラクラッシックな隷属システムを作り上げたときの結果である。今の世界のなかで眺めれば、右傾化自体はあまり不思議なことではない。グローバリゼーションの中で、国家という利権に与る人間たちのジタバタぶりは相当なものである。いかにネーションステートを保持するか。このことに汲々としている人々は別に日本に限ったはなしではない。でも、日本のやりかたが少々特殊なのはそれがとてもクラッシックにみえることだ。時代を逆行するかのようなこの国民洗脳システムはいかにもぎこちなく、文句も言わずにニコニコと黙って低賃金で働き続けコンパクトな車や電子機器を作り続ける不思議な日本民族というイメージは、今の世界が北朝鮮マスゲームを眺めるようなイメージに容易にとってかわるだろう。ホクセン憎し、と蛇蝎のごとく嫌いつつその北朝鮮のようになろうとする滑稽さ。あるいは、流動性をその中心的な駆動システムとする世界経済の人材展開の中で、批判力を極力抑圧されて成長する未来の日本人は「特殊な文化背景を持つ」といういまもときどき耳にする説明では通用しにくくなるだろう。つい最近も「わたしキレイ?*1といういいかたで私は表現したが、昨今のヨーロッパの人間が北朝鮮、あるいはアメリカ人一般を眺めるときと同じような「特殊な政治背景、イデオロギー」をもつ人たち、になるである。
私はといえば、こうした目下の日本の傾向になるべくフマジメにダラダラと海外から微抵抗しつづけたい。なにしろいつかは日本に帰って春には桜、秋には秋刀魚を楽しみたいのだから。帰る先で「非国民!」では私の立つ瀬がないではないか。


追記。重大ポイント。

http://koyasu.jugem.jp/?eid=676

*1:"口裂け女"とは自分では思いませんでした。ブクマでいわれてあわわ、トラウマになっているのか、とか思った