ケンカのイロハ

東京都の副知事である猪瀬直樹が一ヶ月前に次のような発言をしている。

泳いで来るのだから、こちら側から蹴りを入れれば一発だよ。水に顔を突っ込み、参ったかとやりグロッキーにして上陸させず来た船に帰してやればよかっただけのことだよ。こんなもん、ケンカのイロハだ。
2012年8月19日 - 10:57

そうこうしているうちに中国では抗日デモが21世紀最大の規模で盛り上がり、満州事変勃発の日である本日9月18日には1000隻の中国の漁船が尖閣諸島に到着する、とのことである。10隻に満たぬ日本の海上保安庁は「お手上げ」とすでに申し出ている。中国のこうした激発は「想定外の事態」であったらしい。原発事故や外交問題は事務手続きではない故、書式システムには想定しがたいのは確かだろう。野田政権は海上自衛隊の艦船をさきほど尖閣諸島に移動させ始めたとのことである。

英語の記事を眺めたところ、この事変の評価はおおよそ次のようなことになる。7月に起きた中国の艦船の尖閣諸島海域への侵入という事件が一度収まった後にタカ派にして挑発的な発言を繰り返すことで中国に悪名を轟かせている東京都知事石原慎太郎が、日本国内の右派に募金を呼びかけ個人の所有であった尖閣諸島を都が購入する計画実行に及んだ。この計画は上の副知事の発言にあるように実に軽薄な動機に基づくものであった。日本のネット右翼や右派は石原や猪瀬をやんややんや、あるいは「毅然たるどうのこうの」と持ち上げ、彼らはさぞ政治家としての溜飲を下げたことであろう。

この挑発に刺激された中国ではネット右翼憤青)を中心に尖閣諸島は我々のものであるとする激発的な行動が起こり、目下繰り返されている日系企業・デパート・自動車会社・レストランの襲撃に発展している。背景には内政問題を中心とする中国共産党の支持もある。棚上げすることで問題を先送りにしてきた中国・日本国境の歴史的な係争地域がもはや後戻りできないほどの一触即発の状態にある(以上、参照にしたのはこのガーディアン記事及びこのフォーブスの記事)。

実に残念なことであるが、日本がその一触即発の場に軍隊を移動し始めた先程の時点ですでに賽は投げられた、と私は受け止める。軍隊を移動する、というのはそのようなことである。まさか、その意味を理解していないほど今の日本内閣が惚けていないだろう。なにしろ目下の防衛省大臣は、自衛隊出身者の武官・森本其なのである。これは、中国に対する重大な軍事行動のメッセージにほかならない。

さて、ご希望どおりのケンカになった。猪瀬直樹はさっそく迅速に尖閣諸島に移動し、泳いでくる漁民や人民軍を待ち構えてケンカのイロハ、テニスとジョギングで鍛えた健脚で得意の蹴りを世界に披瀝すべきだろう。できることならば石原慎太郎も同行し、日本の若者を極力危険にさらさぬよう、しっかり闘って欲しいものである。

事変にあたり、「理性的対応」を呼びかける声もある。評判を眺めると「そうだ、冷静に」「毅然たる態度で日本の民度を示そう」などといった声が多数みられる。「理性的対応」の内実は以下のようなものである。

何より考えるべきこと

 血が流れるかもしれません。

 もう、中国本土で日本人が怪我をしているようですが…。

 さまざまな情報が流れて心が揺さぶられ、無力感に苛まれたり、無思慮に行動したくなる衝動に囚われるかもしれませんが、主権を守る、領土を守る戦いは局地戦が間違ってでも発生してしまったらそこで終わる可能性はむしろ低くなります。

 戦争にならないように願いましょう。外交や、国民としての態度をもって、領土を譲る以外のあらゆる平和的、外交的手段が講じられるように、礼を失さず日本人として然るべき態度で中国人と接し続けることを誇りとしましょう。

 危機が去ってから、教訓を得て国民全体で議論しましょう。
 それまでは、これは有事であると弁えて、問題に対処する人たちの妨害とならぬよう、国民一人ひとりが考えて行動しましょう。

中国に対して理性的な態度を取るといっても、どう取ったらいいのか分からない人のために
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/09/post-6e06.html

「戦争にならないように願いましょう」と書かれてはいるが、私の判断するところではこれは戦時動員の思考にほかならない。このようなことを書くと「非国民」と真顔で糾弾されたりするような状況にまたたくまになることも不思議ではないだろう。こんなものに同意してはいけない。さらにいえば、今の日本では交戦状態になっても「これは戦争ではない」「冷静に」と互いに頷き合って納得しそうな勢いでさえある。せめて、ファシズムとはなにか、ということをあらためて振り返ってもいいかもしれない。

「永遠のファシズム」ノート

願わくば日本の人々の心と言葉と体があらんかぎり、自由であらんことを。
私は祈らずにはいられない。