転換の時代に

安倍”憲法改正”内閣のステップ1である教育基本法改正が通過した。内閣の目的は「憲法改正」にあるのだから、与党にしてみればまだまだこれから、って感じなんだろうなあ。なんにしろ、政治的な意味での歴史的転換が2006年11月に結節した、ということになる。そして共謀罪憲法改正などなどさらなる結節点が続くわけだ。
見ている限り、反対しようがなにしようが法案は通ってしまうので(というか、反対してうまくいったためしがあるのだろうかとその効果を私は考えてしまう)、やってくるあらたな権力の形にどうやって私たちは生きるか、ということを無力な普通の人間は考えなければならないわけだ。おせっかいな国家権力のなかで生きた人々の記録はあまたあるのだけれど、ひとつだけ良いニュースを言っておけば、いかなるひどい国家権力の元でも人々は通常の生活をおくり、それなりに幸せをみつけて生きることができる、という点だ。ナチスの政権下にあった人々にしたって、今から想像するような「暗く重苦しい日々」だったわけではなく生活は生活、だったのだし、あるいはその後の東ドイツにしたって密告社会、とかさまざまなイメージがあるけれども人々は状況にうまく適応してなんとかやっていたのである。最近でもはたからみればクラッシックな独裁政権下にある国家、北朝鮮における生活を垣間見るような文章があった。憲法が改正されて東アジアの緊張がたかまって常時戦時体制にあるような状況になったとしても、まあ、ひとりひとりはそれなりになんとか楽しんで人生をおくることができるのだろう。でもそのことで彼らが結果的に加担してしまうこと、してしまったことは決定的に残る。
たぶん注意しなければいけないのは、その日常の中で「間違ったことを少なくとも私はしない」という態度だと思う。先日、「学校マクドナルド批判(id:kmiura:20061113#p1)」を書いてから、あれよあれよと教育基本法の改正案が与党単独採決ですすむなか私が考えていたのはそんなことである。私が思い出していたのは、1995年のオウムのことだ。なぜあれだけ多くの私の世代の人間がオウムに入信し、なぜそのオウムがまるで独立国家のような体制をつくりあげ、さらには日本を攻撃し始めたのか(オウムのなしたさまざまなテロのことだが)。このことを私はずっと疑問に思ってきた。というのも、オウムのメンバーの世代は私の世代と重なっていたし、なおかつそこに参加し中枢にいたのが理系の大学院卒業生たちで、サリンを合成したのもかれらだったからだ。当事大学院生だった私は科学者のモラルはその程度のものなのか、と思い学術会議のオウムの地下鉄テロに関する声明を待っていたのだが、なにも出てこなかった。以後かれらがサリンを合成したという事実が私の中にずっとひっかかっている。今思うのはかれらが「狂信的」だったからではなく、単に他律的だったからなのだと思う。一本やり上意下達システムを所与とする他律的個人にとって、じつはそのシステムがいかなる目的・理念を持っているかということはどうでもよい*1。「教育システムの頭を日教組から日本政府にすげかえる」という発想がたとえばそれだ。同様に一本やり上意下達システムを所与とするかぎり、そのシステムがオウム真理教であっても日本国家であってもあまり変わりがない。動員されるという事態に無意識、無抵抗という点において同一なのである。すなわち、麻原を信じる科学者がサリンを作ったように、”国家を愛する”科学者はサリンを合成する。
注意しなければならないのはだから、「ユダヤ人を密告しない私」や「生体解剖を行わない私」同様、今後の世界においてたとえば「サリンを合成しない私」なのである*2

*1:というか、南原繁第二次世界大戦中に学生たちを戦争に送ったことを猛省して出した結論のひとつがこの点なのであり、その反省を基本法として残したのだ。

*2:というふうに考える私はまさに、1947年から2006年まで50年存在した教育基本法の申し子なのかもしれないが、ありがたいと私は感謝する。