学者の怠惰について

自分自身が極めて怠惰な人間なのでこんなことを書くのもなんだが、発言・発表・書をしたためる以上学者は中立であることはアリエナイ。解釈は他人がなすのであって私ではない、という立場は”真理追究”の徒である科学者でも第二次世界大戦前までは通常だったかもしれないが、原子爆弾の強烈なインパク*1が”真理追究”ではダメなのであると科学者に覚醒をもたらしたのである。そもそも”真理追究”は神の手に導かれて真理に至るというキャリアパスであったのだが、それがそうではないことになった手前、追求のその過程において道の周囲にぶちまけていくさまざまな断片に気を配る必要が生じた。一方、追求の道を歩む人間は面倒くさがりで怠惰だ。わが道をゆく周りになにが起ころうが、特異的に熱狂的であり、したがって一般的に怠惰であるがゆえに、熱狂の生み出すあれやこれやを振り返らぬことになる。だからこそ中立でアリエナイと常に認識し、自らの政治的立ち位置を主観的客観的な双方の視線でつねにチェックする必要があるのだ。さもければたとえば科学者は富士山麓サリンを合成し始めたりするのである。

おおやさんとApemanさんの議論を眺めていて。

*1:だけではなく生体解剖・実験なども含むだろう