歳をとった人間は人相について語り出す。私はそれがどうしてもキライだった。人相で人のことは判断できない。そう考えてきた。外見で人を判断するなんて、なんてダメな判断力。そう考えてきた。

とはいえ、東京都知事とか副都知事、すなわち石原慎太郎とか猪瀬直樹の顔を見るにつけ、なんてダメな顔、軽薄な顔なんだろう、と思う。このような人間が、隣人を侮辱し戦争を煽り、自らは安全地帯で墓の目前。私はよくよく、人相は手相血液型はさておきよっぽど確からしい、と思いはじめる。

まあ、私も歳をとったのだろう。

原子力発電についてどうしても一言書いておきたい。「これがなければ日本はダメになる」。そういって必死になっているのは、かつては隠居であるべき人々ばかりである。なおかつその日本の本来の文化であれば隠居であるべき人々が「継続せよ、原発せよ」と画策している。

これは間違っている。2011年3月11日に日本は決定的なパラダイムの変換を経験した。近代的な意味ではなく、これまでにも日本に繰り返しあった、絶大なる自然現象を起因とするパラダイム変換である。年寄りにはそのことは理解出来ない。彼らにとって今まで通り、が最善の道だからである。しかし、不可避的に、非可逆の歴史的転換が起きてしまった。それは厳然としておきた。そのことを感じるだけの感受性を持ち合わせていない人間が、「原発継続すべし」「経済が」と唱和している。「またいつもみたいにやろうよ」。この人々は、100年後のことを考える知性がないのだろうか。死んだあとのことを考えないのか。

無念。ぶっこわれたものを前に「またいつもみたいにやろうよ」。ぶっこわれたその最大の理由が、あのいつも、であったはずなのに。