2012年9月28日夜 霞が関

日本でワークショップの講師をするため5日ほど出張した。時間をみつけて金曜の官邸前のデモに参加するつもりだった…のだが、山の中にカンヅメになっていた出張先からの移動に遅れて20時には間に合わず、それでも官邸前まで足を伸ばしたのだが、交差点の向かって左側の門で主催者らしき人々が撤収しているのをみかけただけだった。なんともさびしいなあ、などと思いながら、警察の護送車の車列をながめながらぶらぶら歩いていたら、財務省の前で映写会らしき集会を行なっている一群がいるのを見つけた。近づいてみると、「ふくしま集団疎開裁判」のグループだった。

ちょうど歩道の扇状になった部分を集会の空間にしている。より中心に近い部分の人々は座り込み、扇の中心部分はすこし高くなっていて、そこに立っている人からチェルノブイリの汚染状況と健康への影響の短い解説があったあと、NHKの特集の映写が行われた。電気はどこからきているのだろう、などど実に些細なことが気になって眺めると、携帯用の発電機らしきものなどもある。形から見てホンダのやつかな、などとくだらないことが気になる。

人数はおよそ60人ぐらいだっただろうか。はじっこに立って眺めていると、以前、お誘いをうけて早稲田の焼肉屋で一緒に飯を食ったことがある植松氏が飛び回って活躍しているのを発見した。映写の担当らしく邪魔をするのもなんだし、ということで声をかけないようにした。見回していたら、写真だけで見たことのあるアクティビストの園良太氏(はてなのブロガーでもある)がさらに忙しく動きまわっているのを発見した。リアルで見たのは初めてであるが、オーウェルが「アナーキストの顔」と表現したような顔はこんな顔なのかな、と私はなぜか「カタロニア賛歌」を思い出したのだった。思弁的で柔和な趣の植松氏とは対照的になにか、切迫したもの、闘争的なものを感じさせる人であることは確かである。

ETVの特集などはドイツにいてもながめることはできるが、そこに居ることが重要である、という持論にしたがって、人々を眺めながら私はかれこれ一時間ほど位置を変えながら参加した。扇状の一番外側の縁には警官たちが囲み、どんどん増えていった。

デモの状況のことはあまり知らないのだが、夕方8時までの金曜デモを主催している「首都圏原発連合」からは、彼らの20時撤収という指示に従わないので疎まれている存在らしい。私の認識としては「三々五々に勝手に集まってきた人々」なのであるから、「帰ってください」と頼むのもまた勝手であるが、帰らないのもまた勝手な話だ。勝手な同士で議論して、互いに納得出来ないならば「じゃあご勝手に」とそのまま別れるのが正しい姿だろう。党派的に分裂したり対立するのは、批判されている国家や官庁にとっては願ったり、のそのものだろう。官邸に向かって原発の稼動に対する抗議の声を上げること、ふくしまの子供たちの福祉を守ろうとすること、それぞれ具体的な目標がある。対立は無益である。

仕事の方のワークショップはきわめて盛況、というか、久々に日本の院生やポスドクと集中的に何日か過ごした。日本の若者たち、実に優秀である。彼らが日本のアカデミズムという書式システムに潰されないとよいのだが。目一杯科学を楽しめ、とは言葉でいわなかったが、たぶん、身をもって示せたのではないかと思う。