10月の頭にはオーストリアのインスブリュック大学の山の家(Obergurgle)、標高2000メートルにいった。日本でいえば、合宿所、とかかな。院生などを教えた。ほとんどが地元の院生だが、ドイツからもちらほら。アメリカのバークレイからもひとりきていたが、帰省をかねてとのことだった。招待された講師の方は、ほとんどが知り合い、もしくは論文で名前を知っている人たちだったので、雑談がてら最近の業界ウラ事情など知ることができた。

例のごとく無珍先生と義理の妹を連れて行った。こうした専門的なコースの合宿に家族を連れてくる人はあまりいないので、珍しい人、ということになってしまう(義理の妹は事情を説明しない限り、奥さん、ということになる)。食事とかの際に学術的な話をする一方で、無珍先生を追いかけ回して飯を食わせたりすることになる。ただえさえ日本人でマイノリティなのであるが、輪をかけてマイノリティになるので、もはやこれは宿命だろうか、と思ってしまう。女性の研究者には、「私は子供をおいてきた、つれてくればよかったかな」などと同情まじりに言われるが、このままやっていけるんだろうか、と思ったりする。

オーストラリア側から山を越えるとすぐにイタリア、南チロルである。地図を眺めたらあまりに近いので、帰りにイタリア方面に走ってしまった。山の上はすでにすっかり紅葉で風光明媚。国境付近では雪まであった。峻厳にして深閑なる岩と雪。南チロルではワインなぞを買い込み、極上のオッソブッコを小さな村の食堂で食べることができたが、そこからはブレンナー峠にむけて大変な山道を走破し、さらにミュンヘンに立ち寄った。二年前の結婚式、その後の葬式と大いに世話になったかれこれ12年来の知人、サイトウさん(なんと氏が料理長のレストランが最近ミシェランに掲載されたとかで目下てんてこまいなのだそうである)に挨拶。その後知人たちと夕飯を食ってから家に戻ったので大変な長旅になってしまった。とはいえ楽しい旅だった。

10月中旬はもっぱら関連している某プロジェクトに関連して大型計算を行うためのセットアップでゴタゴタ。そうこうしているうちに研究所のUnix関連のポータルを作る委員会の委員に任命されて、よけいなことがまた増えた。うちの研究所からNIHのサーバーにどかんとアクセスをしてドメインごと丸ごとブロックされたという経緯があり、そもそもミラーしたサバーがあるのにそれが周知されていないという問題がきっかけらしい。

10月下旬は研究所の院生が最初の実習で回ってくるローテーション、一週間それにかかりっきりだったのだが、実に優秀な情報系の院生だったので、逆にこちらがいろいろなテクニックを教わることになった。このデータ解析が実習課題、この統計方法、結果はこんな表現で、といってたら、ほいほいとRのスクリプトをくんでしまい、なんどかディスカッションで要点をしぼるだけで二日であらっぽく終えてしまったので、いやー、素晴らしい。このまま共同研究ということにしようかと思っている。

10月31日、ということで近所の子供たちが仮装をしてお菓子をねだりにやってきた。ドイツには元々ハロウィンの習俗はないので、こうしたことがあるようになってきたのは実に最近の話である。合衆国だと"Trick or Treat!"と斉唱しながら戸を叩いてやってくる(私もかつてやった)。ドイツではちゃんとドイツ語バージョンがあって"Süßes oder Saures!"意味的にはドイツ語の方が直裁でいかにもドイツ的。魔女や農夫の子供たちがかわいかったので、無珍先生を並ばせて写真を撮ろうとしたら、無珍先生は魔女や農夫をみるなり半泣きで逃げてしまった。