サンポ
保育園からつれてかえって車を置いたあと、無珍先生は延々と道草をしたがる。荷物が大変なのでこのところは家に荷物をおいてから、日暮れちかくまで川べりを長い散歩。距離ではなく時間がながい。小石を集めたり、犬を追っかけたり、通行人にごみをプレゼントしたり階段を何度も上り下りしたり。知人にもすれちがう。今日は橋の上で。
私 「おお、ひさしぶり」
知人 「子供おおきくなったねー!」
私 「いやもうあっというま」
知人 「すごいね。元気そうでよかった。日本には戻らないの?」
私 「まー、ポジションもそうないしなかなか」
知人 「じゃあまだこのままいるんだ」
私 「そっちはまだドイツだったの?てっきりオランダにとっくに戻ったものとおもってた」
知人 「まだドイツ。でもあと二日で引越しなんだ」
私 「そりゃまたすごい偶然だ。ぎりぎりであえてよかった」
知人 「しかもスイスなんだ。あたらしい職場」
私 「ますますオランダから遠くなるね」
知人 「そう」
私 「でもスイスは給料高いんでしょ」
知人 「そう。ふふふ」
私 「じゃあ、元気で、幸運を祈る」
知人 「うん、そちらこそ。元気で」
こちらから声をかける前から、向こうは私に気がついて大きく目を見開いていたのだが、声をかけるのはためらっていたみたいだった。死んだ彼女の死亡確認をした若い女医さんだった。救急で運び込まれた彼女をICUで最初に受け付けたのもこの女医さんだったので、どうにも忘れようがない。
若いのに冷静沈着で、金髪をひっつめにして、睡眠時間を削って働く姿を二ヶ月の間眺めて、実にスゴイな、と思ったものだった。サバサバした人なので、深刻な話でもすっきりはなすことができる人だったし、ドイツ人の医者よりも分子生物学に詳しい人だったので研究に関する雑談もよくした。死亡確認の際にも、どうしょうもなく悲惨な状況の中で、すっと、聴診器をいつものように使った。いつもとかわらない同じ態度。ありがたかった。たまたまだが、彼女に大きくなった無珍先生を見せることができて、ほんとうによかったな、と思った。あの日以来、一年半ぶりに会って、やはり変わらない様子で話す人だった。
ああ。忘れていた。無珍先生をだっこしてもらって写真を撮ればよかった。まあ、でも狭い世界だ。またどこかですれちがうだろう。