近況
彼女の説得工作に見事に負けて私は11月下旬に結婚し、12月中旬にその彼女は私の家にやってきた。一緒に暮らすのも楽しいなあ、と思い始めた1月下旬に子供が産まれ、その5日後にくも膜下出血で産院から神経外科に緊急入院した。2週間後の今、5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は(ドイツの医師はこのあたり容赦ない断言をする)酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。
うれしい。彼女が存在していること。
負け戦をボロボロになって闘ったのは彼女である。でも私は彼女を救ったような気さえしている。幾度にも渡る過酷な決断に直面して飯を忘れたせいか、指がやせ細って手を洗っただけで彼女が私に押し付けた結婚指輪がずり落ちるようになってしまった。そもそもこんな拘束具みないなものしたくないなあ、と思っていた。別にしなくていいのだろうけれども、彼女がこうなってしまうとどうも気軽にはずせない。指輪が落ちて洗面台にあたり、カランと乾いた音を立てるたびにドキリとする。
ずっと一人暮らしだったけれど、家に行くと今では赤ん坊がいる。話しかけてみるものの私の言葉が通じているのか定かではない。でもきっと通じているだろう。ひざに彼を抱えてウクレレを弾いてみたら、彼はびっくりした顔で聞き入ったあと、盛大な音をたててオムツの中にオコサマを産んだ。オムツを替えながらきっと通じている、と思う。
病院にいって私は彼女に一日の出来事を話す。隣のベッドで寝る。彼女はたぶん聴いているのだろう。私の鼾も聞いているのかもしれない。通じてるかどうかよくわからない。でもきっと通じているのだろう。朝起きぬけに、彼女が一番好きなゴールドベルク変奏曲、1981年のグレングールドを集中治療室でかける。ゴチック建築のような音楽。彼女は微動だにしない。でも目から涙を流す。モニターの血圧が徐々に上昇する。一応再現性もある。ナースたちと話しても、どう考えても彼女はなにか、感じている、と口々にいう。医師たちの風向きもかわった。脳幹を大規模に損ない確実に死に至る患者、心停止しても放置すべき患者、から必死に生き延びようとしている患者へ。数日前まで戸惑うような目で私を見ていた医師たち、看護婦たちが今では彼女を本気で救おうとして生き生きとしている。彼女の闘いは彼らをも変えた、と私は思う。たぶん私も変わった。あまりにも過酷な死に直面し呆然とし自失することから、その過酷を生き延びよと願った瞬間にたぶん私は変わった、と思う。
大学病院は、実に稀なケースということで学部長にも話が伝わり、学部を挙げてのさまざまな分野の医師からなるチームを作り始めている。生き延びよ、という一週間の私の願い、集中治療室の外で何日も徹夜し声援を送ってくれた50人近い友人たちの願い、世界のあちらこちらの友人たちの願いも通じたのかもしれない。