論文の生産性?

妙にケツの穴の小さい話だなあ、なんておもったのだが

asahi.com:東大の論文、1本1845万円 国立大でコスト最大級 - 社会

記事に添付されたテーブルを見ていて、投資した金を論文数で単純に割る前に、機関ごとの投資額と論文数の関係はどうなのだろうと思った。で、なんとなく論文数を、各機関ごとの総投資額プロットしてみたのが下のグラフ(縦軸:論文数 横軸:総投資額)。

投資額が多いほど、ほぼ比例して論文数が増えている。まあ、あたりまえだろうな、と思う。もうすこし眺めていて穿ったみかたをすると下のようなおおまかに二種の比例関係があるかもしれない。

総投資額が低い部分の方が、高い部分よりも論文数の伸びが大きい。これはよく考えればあたりまえの話かもしれない。というのも、カネをかければかけるほど論文数がえんえんと増えるか、といえば、人件費に研究費をつかうことが難しい日本特有の状況を考えれば(最近は違うのだろうか)、おそらくそうではない。一人の人間の能力には限りがあるので、カネではなくて人間の仕事能力がリミットになって頭打ちになるからである。いくらカネがあっても、食える飯の量は一定以上増やすことができないのと同じような話である*1

上の記事のブックマークのコメントを眺めていたら、計算方法がダメである、という批判が結構あった。私も最初はインパクトファクターの総計で計算したほうがまっとうだろうな、とか思った。でもよく考えたらそもそもこうした”論文の生産量”という文科省がいかにも好きそうな考え方を批判すべきだろう。というのも、生産性という土俵に立ってしまうと、いずれは、『そもそも税金を論文生産のためにつかうことは意味がないのではないか、それよりも、その税金を使ってもっと別の投資をしたほうがはるかにカネを産む(生産性が高い)』などといった、いかにも議論に負けそうな主張に付き合わなくてはならなくなるかもしれないからである。学府は企業ではない。

*1:こんな議論していると、一定の人数で測定しなきゃなあ、なんて思い始めてしまうけど。