触り職人レイ・チャールズ

機内の個別モニターで映画”Ray”を観た。レイ・チャールズの伝記映画。以下ネタバレありあり。クスリにはまったり、盲人だったけどすごいモテまくりのスケベな人生でした、という内容であるが、意外だったのは、レイ・チャールズが実にカネに厳しい男であった、ということ。給料は全て一ドル札でもらっていた、というのは盲目であるから誤魔化されないためにあたりまえではあるのだが、有名になって大金持ちになってからも、カネの出入りを自分で細かくチェックしていたらしい。現実的な人なんだな、と思った。それでもギリギリのところで市民権運動に賛同し、黒人を排除したコンサートホールでの講演を直前にキャンセルして「ジョージア・オン・マイ・マインド」の作者当人がジョージアで歌うことを永遠に禁止されてしまうところが、いかにもアメリカンヒーロー。ちなみにこの禁止令は後に解除されている。
おもしろかったのは女の口説き方。本当にそうやって口説いていたのかどうかしらないが、レイ・チャールズはおもむろに女の両手首をつかみ、その後に両手を女の腕に沿ってすりすりとすべらせて肩を抱き、女の顔の位置を確かめながら唇を寄せる。滑らかにゆっくりと女の腕を移動するレイ・チャールズの手をみているだけで黒人のすべすべした肌の触感をおもんばかる私はドキドキしてしまう。そして少々不謹慎かもしれないが、こりゃ盲人カードだよなあ、と少々うらやましくなる。普通の人間がやったら異常であるが、盲目だから異常ではない。
ところで、レイ・チャールズはオンナの手首を触っただけで美人かどうかわかるのだという。ここでいう美人とは、盲目でない人間がその女を眺めて、おお、美人だ、という美人なのだが、手首と見た目美人が一体どのように関連するのか、どことなくわかるような気もするし、わからないような気もする。骨格のパーツから元の人間全体を再構成する計算技術があるのだから、手首を触って全体の構成を直観する能力が人間にあったとしてもおかしくないだろう。さらにいえば、盲人にとっての美人が、非盲人にとっての美人と一致する、ということはどうしてなのだろうか。構成のシンメトリー、平均顔が美人なのである、というような研究結果があるが、だとしたら、美人はさまざまな測定から判定可能である、ともいえる。構成のシンメトリーの平均値顔が美しい、ということであれば両手首を同時に掴むところから可能になるのだろうか、なんてちょっと想像したりした。そういえば、美人の顔って観ていると感動するけど忘れやすい。
原版をリサンプルしたという音楽がスバラシイ。サントラが欲しいなあ、と思った。