路上の英雄

1928年から36年まで東京に暮らしたキャサリン・サンソムによる『東京に暮らす』というなかなかおもしろい本がこのところの食事中の本なのだが、次のような一節があった。

そば屋の小僧が自転車で出前のお昼をあちこちの客に配達する姿ほど面白い光景はありません。上に向けた手の平で、お重と丼をいくつも高く積み重ねたお盆を支え、もう片方の手で自転車を操りながら自動車の間を縫って走り、角を曲がるときには体を傾けてバランスをとり、停まる時にはまるで的に当った矢のようにすとんと止まります。自動車の間に割り込んでいくので運転手たちからよく怒鳴られていますが、路上の英雄は自転車の漕ぎ手です。自動車が入れないところもスイスイと走り抜け、陽気に口笛を吹いたり歌を歌いながら走っていきます。(P77)

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

サンソムはこの自転車の出前の様子がとても気に入っていたらしく、上のページのすぐ後だけでなく、本の最後にも、マージョリー西脇(西脇順三郎の妻)による自転車出前の挿絵が加えられている。最近では出前といえばスーパーカブでバランサーのついた荷台の出前ばかりだけれども、私が子供のころにはまだ自転車で出前をしている姿はよく見かけた。ガニ股で重そうな黒い自転車のペダルを漕ぎ、片手でいかにも器用に蕎麦をかついでいる姿は実に魅力的で、確かに私にとっても路上の英雄だった。なにやら懐かしくなってグーグルで自転車出前の写真がないか探してみたのだが、昭和初期のものしかみつからなかった。下の写真は驚愕するような積み上げぶり。ここまでのは自分では見かけなかった。

昭和初期のものですが、あまり高く積み上げて、ビルの谷間を走り回るので、当時の新聞や雑誌によく取り上げられたそうです。

 残っている写真で一番たくさん持っているものは,1番下に肩当として『もちや』を2枚重ねた上に大台より大きかったのでバカ台と呼ばれた出前用の長方形の台を乗せ、その台に『もちや』を2列に7段、小計14枚 さらにその上に12枚、代のあいているところに八合入りの徳利4本を置き また、ふたの台をして今度は半サイズの『もちや』6段に徳利4本、総計で『もちや』28枚をかついでいたそうです。

 この『もちや』というのは縦39cm、高さ7.5mmの底のあるしっかりした朱塗りの箱で、空でも1枚1kgですから、そばが入ると3kgにもなり、28枚で90kg以上になります。高さは7.5cmのものが23段ですから1.8m、地面かだと3mは楽にありました。一度かつぎ出したら、肩が痛いからかつぎ変えるなどということは、到底できませんでした。
http://www.izushi.jp/kogetudo/sub07sobanotisiki.htm

私が見かけたのは、この下の写真ぐらいの感じ。真似をして転んだりしたこともある。上の方の写真は、東京のオフィス街だから部署ごと全部といった事情もあっただろうし、見栄の張り合いで競争になっていたんだろうな、と勝手に推測。なお、本に描かれた挿絵では、蕎麦13枚、丼を8杯重ねている。


http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/409_2.html
昭和15年

本に描かれる日本はたかだか70年前の日本なのだが、実に異国情緒にあふれている。今の世界、どこにいっても私はこの本が持つような新鮮な異国情緒を感じることができない。