近況

気温10度。まだ油断できないが一番寒い時期は抜けたような。

無珍先生が伝い歩きを盛んにしはじめて、次から次へと物をひっくり返し、棚に手を伸ばし引きづりおとし、ヨタヨタと足をよろけさせて転んでは、自分で床に落としたものに顔をぶつけて、ウワーン、と泣くのを眺めているのは、うーむ、自己組織化、と思わせなくもないが要するに自業自得である。生きることはすなわち自業自得であるからして、その縮図をそこに眺める思いなのだが、眼にあたったりしたら大怪我をしてしまうだろうから、ということでこの数週間大幅に家具を入れ替えた。イケアさまさまの登場である。
イケアの家具というと心ある人々の間ではグローバリゼーションの尖兵、郊外スプロール化の権化、大量生産、安かろう悪かろう、の象徴でもあるのだが、こうなると非常に便利である。背に腹はかえられぬ、というか、時間が無いので仕方がない。暇と余裕があれば、フリーマーケットめぐりをして古家具を自分でリストアしながら入れ替えるのだが。車で20分ほどのイケアに日参し、ついにそれでは埒が明かぬとみて2トンのバンを借りて買出しにいったのだった(とはいえ、あわてて買いすぎて家具の一つ、40キロの重さの引き出しの色が間違えていて箱を開けたときにまたこれを持って取替えにいかねばならぬのか、と絶望的な気分になった)。
ドイツの借家は入ったときになにもないかわりに自分で改造する裁量は大幅に借家人にまかされており、私などもハンマードリルでべトンに穴を空けたりする。幼稚園のころより工具好き道具好きの私にとってはかくなる作業、なんとも溜飲を下げること幾たびなのだけど、やりすぎるとヘトヘト。肩凝りまくり。でもこれも無珍先生のためと思い、自ら叱咤激励ののち、注意散漫になりデジカメを棚から落として壊したりと紆余曲折の末、作業完了の祝杯をあげつつ「わはは、無珍先生、ついにできたな」と父親っぽく語りかけるものの、きょとんとしてのちいそいそとハイハイし、よちよちと立ち上がってふたたび転んではぎゃーん、と泣いている先生であった。

0歳児クラスになぜかまだいる無珍先生、最近はやたらと保母さんやら他の赤ん坊にキスして回っているそうである。オレにはしないなあ、なんでだろう、と思っていたのだが、保母さんも他の赤ん坊も女ばかりなのである。無珍先生はウーマナイザーね、と保母さんが笑ってデジカメの写真を何枚もみせてくれた。確かに。でも本当に女だからということでキスしているのかなあ。ちなみに一番の仲良しはアメリカ人とドイツ人のハーフの女の子で(半分黒人、半分白人でものすごくかわいい)、これはもはや公認の仲とのことである(と先方の母親にいわれた)。0歳児クラスにまだいるのは、彼女と一緒に一歳児クラスに上げることになったから、なのだそうだ。うらやましいことである。でも、公認の仲がいるのにそんなにキスしてまわっていいのかよ。

ガソリンスタンドで洗車して、待っている間に話しかけてきた人がいた。向き合うとすぐに去年さんざん治療方針に関して激論をかわした脳外科集中治療室の医者だとわかった。ああ、と私は声にならぬ声をもらし、く二人で向き合ったまましばし絶句のち、息子さんはどうしていますか、と聞くので元気です、と応えた。あのときのチームにいた医者たちは、半分はほとんどがそれぞれの部署に戻っていたそうである。彼にとってもあまりに衝撃的な経緯だった、とのことで私のことをフルネームで覚えていた。そりゃそうかもしれない。集中治療室で2ヵ月一緒にくらしていたようなものだから。いつかカルテを全部コピーしたいんだけどできるだろうか、ときいてみたら、問題ない、いつでもできる、とのことである。そういえば彼女の経過のことは論文になったのだろうか。昨年の今頃、部署の責任者はそんなことをちらっといっていた。できたらそうした形ででも彼女が残ってくれるのはうれしい、と私は思う。