修善寺温泉菊屋。漱石が喀血して3ヶ月床に伏した温泉宿である。内部の構造が少々複雑で迷路のようなのだが、小さな中庭がいくつもあって、廊下を歩いているだけで楽しい。廊下の辻々に生けられた花にはいさぎのよいバランスがあって見事だった。部屋のこたつに入って窓から見える日本瓦の緩やかな傾斜はとても落ち着いていた。
浴場に向かう廊下に漱石大喀血の経過がパネル展示されていた。「木曜会」の弟子を中心に知人友人たちが次々と訪れる様子が書かれていた。小説自体は私もいろいろ夢中で読んだが、漱石自身の存在が若い人をこんなにひきつけたのはなんでだったのかなあ、としばし思い巡らす。どんな魅力だったのか。少々たれ気味の柔らかい目をした漱石の写真を見ているうちに、とても優しい人だったのかもしれないなあ、と思う。
千円札からは漱石が消え、野口英世になった。野口英世の写真を見ると、その目は人を射るような目、というか、凝視というか、あるいは「目を剥く」というような雰囲気で、ある種必死の相をしている。千円札から漱石が消えたのは、どうも私には寂しくて仕方がない。