自民党が大勝だったそうである。

これから20年で原発段階的に廃止だと50%くらいの確率で次の事故が起こる。
この事故の確率の見積もりは私が適当に書いているわけではなくて、国家戦略室の発電コスト推定が前提にしている。

http://jun-makino.sakura.ne.jp/articles/811/note022.html

確率は50%である。サイコロを投げるようなことを再び日本の人々は選択した。福島で難民が大量発生して放置されているが、同じことがまた半分の確率で起きるわけだ。最悪の原発事故に懲りていない人々がほとんどらしいが、これを読んでいる方々は、少なくとも次の事故に備え、もっとも近くにある原発への距離ぐらいは知っておくべきだろう。

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秋葉原で自民党支持者が暴走!君が代熱唱し「朝鮮人を海外に追放しろー!帝国憲法、万歳!インフレ起こせー!」

…というわけでなんとなく清沢洌の暗黒日記を注文した。ちくま学芸文庫の古本三冊。紹介は例のごとく松岡さんとか。日記より氏の抜粋。

◇(正宗白鳥氏は)日本国民は戦争の前途にたいして不安を持っていないと話していた。そうだろうと思う。暗愚なるこの国民は、一種のフェータリズムを有しているのだ。
◇不思議なのは「空気」であり「勢い」である。米国にもこうした「勢」があるが、日本のものは特に統一的である。この勢が危険である。あらゆる誤謬がこのために侵される。
◇いわゆる日本主義の欠点は、国内の愛国者を動員しえぬことである。思想の相違を以て、愛国の士をも排斥することである。
◇モラールの問題だ。日本は全く行詰まったのだ。

なお、フェータリズムとは運命論のことである。

暗黒日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)

暗黒日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)

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大阪の瓦礫受け入れ問題で活躍していたモジモジ氏(id:mojimoji)が二ヶ月前にJRの営業を妨害した、とのことで拘置所に拘束されている。個別の問題であるが、より大きな文脈の一部であるような気が強くしている。署名したりカンパしたりしている。まだご存知でないかたは次のリンクを参照されたい。

下地さん声明文
http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/e/79c68fd4e86da4ec02b2e01a5188052b

放射能拡散に反対する市民を支援する会
http://keepcivicactivity.jimdo.com/

目下の支援は下地さんのゼミ生を中心に行われているとのことである。英文の署名サイトをフェイスブックにリンクしたところ、例のカルヴィーノ関係のイタリア人の友達が署名してくれた。

マッチ擦るつかのま庭は黴むせて

イギリスの東海岸
あれはどこだか忘れてしまった


  ジットリとした
  ヒンヤリとした
  ムシムシとした


台所のドアをそっとあけて
音をたてずに外にたってみる


暗い雲に空気はいよいよ淀んでいる
寒いはずの空気
じめっとしたワイシャツがなにやらまとわりつき
蒸した空気を胸に感じる
いっそのこと脱いだほうが


空気はどことなく冷たく
わたしはそこにしゃがんで
澱のような潮の匂い
湿ったレンガや
カビやら
隣家の生ゴミやら
やりきれない
あの匂いをかぎながら
あの歌をつぶやく


マッチスル
ツカノマウミニキリフカシ
ミスツルホドノソコクハアリヤ


  爆発的事象
  計画的避難
  冷温停止
  放射線管理区域
  風評被害
  県民健康管理調査
  原子力規制庁
  民主主義
  ケンカのイロハ
  復興予算


空虚な言葉が貨物列車に満載だ
しょぼしょぼと雨の降るドイツの冷たい秋に
あのイギリスの黴の匂いが一瞬鼻先をかすめる

身捨つるほどのコトバはありや


死に際し心拍モニタは止めましょう


そういわずに医者はのびあがり
手を伸ばしてモニタを止めようとした


とめないでください


医者はおどろいたように手をおろしむきなおり


こんな機械はもうみたくないでしょう


医者は小さな声でいった


わたしは首をふり


数字にはなれっこなのです
わたしは数字で生命を扱います
職業なのです


とめないでください


生命さえリアルにあらず
身捨つるほどのコトバはありや

歳をとった人間は人相について語り出す。私はそれがどうしてもキライだった。人相で人のことは判断できない。そう考えてきた。外見で人を判断するなんて、なんてダメな判断力。そう考えてきた。

とはいえ、東京都知事とか副都知事、すなわち石原慎太郎とか猪瀬直樹の顔を見るにつけ、なんてダメな顔、軽薄な顔なんだろう、と思う。このような人間が、隣人を侮辱し戦争を煽り、自らは安全地帯で墓の目前。私はよくよく、人相は手相血液型はさておきよっぽど確からしい、と思いはじめる。

まあ、私も歳をとったのだろう。

原子力発電についてどうしても一言書いておきたい。「これがなければ日本はダメになる」。そういって必死になっているのは、かつては隠居であるべき人々ばかりである。なおかつその日本の本来の文化であれば隠居であるべき人々が「継続せよ、原発せよ」と画策している。

これは間違っている。2011年3月11日に日本は決定的なパラダイムの変換を経験した。近代的な意味ではなく、これまでにも日本に繰り返しあった、絶大なる自然現象を起因とするパラダイム変換である。年寄りにはそのことは理解出来ない。彼らにとって今まで通り、が最善の道だからである。しかし、不可避的に、非可逆の歴史的転換が起きてしまった。それは厳然としておきた。そのことを感じるだけの感受性を持ち合わせていない人間が、「原発継続すべし」「経済が」と唱和している。「またいつもみたいにやろうよ」。この人々は、100年後のことを考える知性がないのだろうか。死んだあとのことを考えないのか。

無念。ぶっこわれたものを前に「またいつもみたいにやろうよ」。ぶっこわれたその最大の理由が、あのいつも、であったはずなのに。

ドイツの税関に電話してみた

先日フランクフルト空港の税関のことを書いたら、数万のアクセスがあったので、結構気にしている人が多いことがわかった。そこで、多くの人が一番気になるであろう「ドイツ国外からラップトップを持ってドイツに滞在する場合」について税関に電話して聞いてみた。

日本在住者がドイツを訪問する際に個人の所持品は課税の対象には当然ならないのだが、問題はその物品がおよそ4万円以上の価値のある物品である場合(例えばラップトップやカメラなど)、それが個人の所持品であって贈り物や販売品ではないことをいかに証明するのか、という点にある。

電話での私の最初の質問は、「ラップトップをドイツ国外からドイツに持ち込むために、フランクフルト空港の税関で何をすべきか」。

回答は、「通常これは問題にならないはずである。もし緑のゲートを通るときに捕まっても、ラップトップの領収書をもっていれば大丈夫。」

引き続き質問。「とはいえ、買ったばかりのラップトップだったらどうするのか。たとえ領収書があったとしても税関の職員がその新品のラップトップをドイツ国内で売るかもしれない、と疑うこともあるだろう」

回答。「わはは(心配しすぎですね、という感じ)。レアなケースではあるが、あるかもしれない。そのような時には、その場で課税されますが、再びドイツを出国するときにその課税の領収書を使ってお金はすべて返金されます」。

質問。「それで緑のゲートを通っていたら、罰金もありますね。ということは赤いゲートで申請するのが一番いいでしょうか」。

回答。「そうですね。赤いゲートで申請し、規定の課税額を払って、出国の際に全額返金してもらう、というのがもっとも確実ではあります」。

… というわけで、もっとも正しいのは、赤いゲートをとおって金を一度払いあとで返金してもらう、という方法だそうである。支払いの際にはなにも書類を作る必要はなく、単に課税の領収書が発行されるだけだそうである。電話した先は「そこまでやる必要はないですよ」というニュアンスだったが、たまにいる意地悪な(あるいは糞真面目な)税関職員のことを考えれば、新品のラップトップを持ち込む場合、なおかつ領収書がないならば*1、少々時間はかかるが赤いゲートで一度金を払い、出国時に返金してもらう、というのが確実な方法であろう。

私の場合はいちいち赤ゲートで申請するのは面倒なので、ラップトップの領収書PDFをラップトップに保存し、緑のゲートを通過、捕まって聞かれたらやおららPDFの書類を表示、という手段にすることにした。さらにゴネられたらそのときはそのとき、なんとかする、ということで。過去16年、100回以上ドイツから出入りしていると思うがかくなる作戦を立てるのは初めてである*2

なお次のリンク先に英語で質問できるドイツの税関の電話番号がある。丁寧な対応なので自分でもなにか聞いてみたい人はどうぞ。

http://www1.zoll.de/english_version/customs_info_center/index.html

*1:領収書がない場合には値段を聞かれる。あるいは税関の職員が勝手に見積もることになる。この見積りは先日の私の経験だと、職員は製品番号・製品名からネット検索で調べている。なお、「なぜ領収書が必要なのか」と疑問を持たれている方がいる。ドイツ国外に在住の場合には、領収書は値段の見積りが簡単になることと、購入日がわかるので、新品かどうかを判断できるからである。ドイツ国内に在住している人に関しては、ドイツで消費税を払ったかどうかを確認するため、になる。

*2:「なんて面倒なんだ!」と前回コメントしている人がたくさんいた。たしかに面倒。ただ、ドイツ人は税金の使われ方に対してもとても厳しい。日本の人たちはこの点どーなってんの、というか、復興税の名目で税金を徴収してその使い道は「北海道と埼玉県の刑務所の受刑者訓練」とか「日本原子力開発研究機構の研究費」とか「自衛隊の銃弾購入費」、こちらの追い剥ぎぶりのほうにもっと怒らないものか、と思う。復興税で「官庁の耐震改築120億円」にいたっては、まあ、なんというか。うち12億は税金徴収実務にあたっている税務所自身である。公共投資で経済を活性化、というのはわからんでもないが、東北で文字通り路頭に迷っている人を助けるのが先決ではないのか。

フランクフルトの税関

このところフランクフルトの税関で立て続けに演奏家のバイオリンが課税対象になってその場で払えない高額であるため没収された、という件が話題になっている。

http://matome.naver.jp/odai/2134941753199027401

http://nofrills.seesaa.net/article/296070497.html

あららー、と思っていたら10日前私が日本からドイツに戻ってきたとき、見事にフランクフルト空港ターミナル1の税関で引っかかった。私は近年税関で捕まることは滅多にないのだが、今回はいかにも移民風な安い布製のでかいスーツケースにボロい小さなボストンバックだったんで、怪しい、と思われたんだろうな、と捕まった瞬間に思った。以前はかなりヨレヨレの格好していたからよく捕まっていたものである。

とはいえ今回なにが問題になったかというと、スーツケースに一杯入っていた両親から無珍先生へのおみやげ(なんとそれだけでいっぱい)でもボストンバックに入っていた私の洗濯物でもなく、バックパックのMacBookPro。2年半前のモデルだった。

その金髪の女性税関職員が「これどこで買った?」というので、研究所の予算で買ったものであると答えた。
「領収書は?」
「そんなもの持っているはずがない。二年半前のものだ」
「税金払ってもらいます」
「え。」(厳しくなったってほんとだったんだー)
「こっちにきなさい」
というわけで、オフィスに連れて行かれた。

オフィスにて。
「これいくらでしたか」
「7000ユーロぐらいだったかな」
「でも二年半前だから安くなっているはずですね」
「まあそうだろうけど、そんなこと私には関係ない」
ごちゃごちゃごちゃごちゃ。10分ほど議論。

で、ラップトップを持って行ってしまった。眺めてたらオフィスのコンピュータでebayにアクセスして中古の値段を調べている。もどってきて
「今ただちに消費税払ってもらいます」
「研究所のものだから、私は絶対払わない」
「証明書がないじゃないですか」
「ある。これは研究所の予算で買ったことは後で証明できる。ラップトップ没収していいですよ。あとで書類持ってきます」
「それだと書類作成が面倒なんですよ」
「面倒でもいい。明日は時間がない。あさってにでも書類持ってくるから、これ置いていきます。さあ、没収してください。今週ワークショップで教えるんでこまりますが、研究所に事情は話します。受講者たちにも説明します。だから没収の書類を早速つくるように」
「困りましたね。払ってください。」
「冗談じゃない、困るのはこっちだ。没収してください。絶対払わない。」
「… じゃあ、まあ今回はよしということで。次回からはかならず領収書を持参するように」

とまあ、こんな感じである。この税務職員は実に意地の悪い感じの人であった。こちらが怒ってようやく、という展開である。まあ、事実私に落ち度はないわけで、その強みもあった。

とはいえ以上のような状況は、私がドイツに在住しているから起きる話である。この場合、ドイツに在住している人間が、国外(ドイツ国外)でなにか買ったらドイツで消費税を払え、というのがドイツの税務署の言い分になる。関税というより消費税の話なんだよな、これ。

というわけで日本に在住している人がドイツへの往復でラップトップを所持している場合にはどうすればよいか(いちばん一般的に問題になりそうなのはバイオリンではなくラップトップだ)、EU非在住であること、機器が職務上必要であることを書類で示せることに注意すればよいだろう。なにしろ書類が重要な国である。なかったら書類はつくってでも持っていく。会社の備品ならば会社の財務にその旨英語で書いてもらってサインをもらう、とか。

  • EUに住んでいないこと、短期滞在であることをフライトチケットで証明する。
  • 日本で購入した証明をするため、日本語でもいいから領収書を所持する。値段だけでなく型式がプリントされているとなおよい。日本語キーボードのラップトップだったらまず問題ないだろう。
  • ラップトップが職務上必要であることをなんらかの形で示せるようにする。学会参加の登録書類、訪問先とのやりとりのメールなど。
  • 遊びでラップトップ持っている場合は、うまくいくかどうかわからんが「旅行中にネット情報にアクセスすることが必須である」とか、理屈を用意しておく。

− 落ち度がないのならば譲らない。

あとは、バゲッジクレームの税関のゲート通るときに、目を皿のようにしている意地悪そうな係員がいたら、「申告なし」の緑ゲートではなく「申告あり」の赤ゲートで自分から係員に話しかけ「ラップトップありますが」と申告すること。で、仕事で使う、日本に持って帰る、日本に住んでいる、といえば良い。ドイツの役人は現場の裁量が大きいので、係員の性格で処分が大きく左右される。この点ご注意を。まあ、なんかバイオリンはやはり狙い撃ちだろうな。

[追記]

研究所の財務にきいたら予算で購入したときの書類をPDFを用意してくれた。ラップトップ自体に保存しておけば今後忘れることもないだろー。

2012年9月28日夜 霞が関

日本でワークショップの講師をするため5日ほど出張した。時間をみつけて金曜の官邸前のデモに参加するつもりだった…のだが、山の中にカンヅメになっていた出張先からの移動に遅れて20時には間に合わず、それでも官邸前まで足を伸ばしたのだが、交差点の向かって左側の門で主催者らしき人々が撤収しているのをみかけただけだった。なんともさびしいなあ、などと思いながら、警察の護送車の車列をながめながらぶらぶら歩いていたら、財務省の前で映写会らしき集会を行なっている一群がいるのを見つけた。近づいてみると、「ふくしま集団疎開裁判」のグループだった。

ちょうど歩道の扇状になった部分を集会の空間にしている。より中心に近い部分の人々は座り込み、扇の中心部分はすこし高くなっていて、そこに立っている人からチェルノブイリの汚染状況と健康への影響の短い解説があったあと、NHKの特集の映写が行われた。電気はどこからきているのだろう、などど実に些細なことが気になって眺めると、携帯用の発電機らしきものなどもある。形から見てホンダのやつかな、などとくだらないことが気になる。

人数はおよそ60人ぐらいだっただろうか。はじっこに立って眺めていると、以前、お誘いをうけて早稲田の焼肉屋で一緒に飯を食ったことがある植松氏が飛び回って活躍しているのを発見した。映写の担当らしく邪魔をするのもなんだし、ということで声をかけないようにした。見回していたら、写真だけで見たことのあるアクティビストの園良太氏(はてなのブロガーでもある)がさらに忙しく動きまわっているのを発見した。リアルで見たのは初めてであるが、オーウェルが「アナーキストの顔」と表現したような顔はこんな顔なのかな、と私はなぜか「カタロニア賛歌」を思い出したのだった。思弁的で柔和な趣の植松氏とは対照的になにか、切迫したもの、闘争的なものを感じさせる人であることは確かである。

ETVの特集などはドイツにいてもながめることはできるが、そこに居ることが重要である、という持論にしたがって、人々を眺めながら私はかれこれ一時間ほど位置を変えながら参加した。扇状の一番外側の縁には警官たちが囲み、どんどん増えていった。

デモの状況のことはあまり知らないのだが、夕方8時までの金曜デモを主催している「首都圏原発連合」からは、彼らの20時撤収という指示に従わないので疎まれている存在らしい。私の認識としては「三々五々に勝手に集まってきた人々」なのであるから、「帰ってください」と頼むのもまた勝手であるが、帰らないのもまた勝手な話だ。勝手な同士で議論して、互いに納得出来ないならば「じゃあご勝手に」とそのまま別れるのが正しい姿だろう。党派的に分裂したり対立するのは、批判されている国家や官庁にとっては願ったり、のそのものだろう。官邸に向かって原発の稼動に対する抗議の声を上げること、ふくしまの子供たちの福祉を守ろうとすること、それぞれ具体的な目標がある。対立は無益である。

仕事の方のワークショップはきわめて盛況、というか、久々に日本の院生やポスドクと集中的に何日か過ごした。日本の若者たち、実に優秀である。彼らが日本のアカデミズムという書式システムに潰されないとよいのだが。目一杯科学を楽しめ、とは言葉でいわなかったが、たぶん、身をもって示せたのではないかと思う。

ケンカのイロハ

東京都の副知事である猪瀬直樹が一ヶ月前に次のような発言をしている。

泳いで来るのだから、こちら側から蹴りを入れれば一発だよ。水に顔を突っ込み、参ったかとやりグロッキーにして上陸させず来た船に帰してやればよかっただけのことだよ。こんなもん、ケンカのイロハだ。
2012年8月19日 - 10:57

そうこうしているうちに中国では抗日デモが21世紀最大の規模で盛り上がり、満州事変勃発の日である本日9月18日には1000隻の中国の漁船が尖閣諸島に到着する、とのことである。10隻に満たぬ日本の海上保安庁は「お手上げ」とすでに申し出ている。中国のこうした激発は「想定外の事態」であったらしい。原発事故や外交問題は事務手続きではない故、書式システムには想定しがたいのは確かだろう。野田政権は海上自衛隊の艦船をさきほど尖閣諸島に移動させ始めたとのことである。

英語の記事を眺めたところ、この事変の評価はおおよそ次のようなことになる。7月に起きた中国の艦船の尖閣諸島海域への侵入という事件が一度収まった後にタカ派にして挑発的な発言を繰り返すことで中国に悪名を轟かせている東京都知事石原慎太郎が、日本国内の右派に募金を呼びかけ個人の所有であった尖閣諸島を都が購入する計画実行に及んだ。この計画は上の副知事の発言にあるように実に軽薄な動機に基づくものであった。日本のネット右翼や右派は石原や猪瀬をやんややんや、あるいは「毅然たるどうのこうの」と持ち上げ、彼らはさぞ政治家としての溜飲を下げたことであろう。

この挑発に刺激された中国ではネット右翼憤青)を中心に尖閣諸島は我々のものであるとする激発的な行動が起こり、目下繰り返されている日系企業・デパート・自動車会社・レストランの襲撃に発展している。背景には内政問題を中心とする中国共産党の支持もある。棚上げすることで問題を先送りにしてきた中国・日本国境の歴史的な係争地域がもはや後戻りできないほどの一触即発の状態にある(以上、参照にしたのはこのガーディアン記事及びこのフォーブスの記事)。

実に残念なことであるが、日本がその一触即発の場に軍隊を移動し始めた先程の時点ですでに賽は投げられた、と私は受け止める。軍隊を移動する、というのはそのようなことである。まさか、その意味を理解していないほど今の日本内閣が惚けていないだろう。なにしろ目下の防衛省大臣は、自衛隊出身者の武官・森本其なのである。これは、中国に対する重大な軍事行動のメッセージにほかならない。

さて、ご希望どおりのケンカになった。猪瀬直樹はさっそく迅速に尖閣諸島に移動し、泳いでくる漁民や人民軍を待ち構えてケンカのイロハ、テニスとジョギングで鍛えた健脚で得意の蹴りを世界に披瀝すべきだろう。できることならば石原慎太郎も同行し、日本の若者を極力危険にさらさぬよう、しっかり闘って欲しいものである。

事変にあたり、「理性的対応」を呼びかける声もある。評判を眺めると「そうだ、冷静に」「毅然たる態度で日本の民度を示そう」などといった声が多数みられる。「理性的対応」の内実は以下のようなものである。

何より考えるべきこと

 血が流れるかもしれません。

 もう、中国本土で日本人が怪我をしているようですが…。

 さまざまな情報が流れて心が揺さぶられ、無力感に苛まれたり、無思慮に行動したくなる衝動に囚われるかもしれませんが、主権を守る、領土を守る戦いは局地戦が間違ってでも発生してしまったらそこで終わる可能性はむしろ低くなります。

 戦争にならないように願いましょう。外交や、国民としての態度をもって、領土を譲る以外のあらゆる平和的、外交的手段が講じられるように、礼を失さず日本人として然るべき態度で中国人と接し続けることを誇りとしましょう。

 危機が去ってから、教訓を得て国民全体で議論しましょう。
 それまでは、これは有事であると弁えて、問題に対処する人たちの妨害とならぬよう、国民一人ひとりが考えて行動しましょう。

中国に対して理性的な態度を取るといっても、どう取ったらいいのか分からない人のために
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/09/post-6e06.html

「戦争にならないように願いましょう」と書かれてはいるが、私の判断するところではこれは戦時動員の思考にほかならない。このようなことを書くと「非国民」と真顔で糾弾されたりするような状況にまたたくまになることも不思議ではないだろう。こんなものに同意してはいけない。さらにいえば、今の日本では交戦状態になっても「これは戦争ではない」「冷静に」と互いに頷き合って納得しそうな勢いでさえある。せめて、ファシズムとはなにか、ということをあらためて振り返ってもいいかもしれない。

「永遠のファシズム」ノート

願わくば日本の人々の心と言葉と体があらんかぎり、自由であらんことを。
私は祈らずにはいられない。