過剰相対リスクの意味

「そもそも発症するガンに比べたら放射線の被ばくによる発症は微々たるものである」。この一年の間に随分聞かされた。例えば次のような例である。


もっと低い放射線量では、症状もなく、検査でも分かりませんが、発がんのリスクは若干上がるだろうと想定して、その管理を行なうべきだとされています。ただし、およそ100 mSv(ミリシーベルト)の蓄積以上でなければ発がんのリスクも上がりません。危険が高まったとしても、100 mSvの蓄積では極めて僅かな増加と考えられます。(0.5%程度の増加を想定して管理)そもそも、日本は世界一のがん大国で、2人に1人が、がんになります。つまり、50%の危険が、100 mSvあびてもほとんどそのがんになる危険性は変わりません。タバコを吸う方がよほど危険です。現在の1時間当たり1μSvの被ばくが続くと、11.4年で100 mSvに到達しますが、いかに危険が少ないか分かると思います。  引用元:福島原発における放射性被ばくの解説(PDF) 東京大学医学部附属病院放射線科 中川恵一

「リスク」をめぐって侃々諤々の議論がこの一年に起こった。専門家と非専門家、老若男女が議論に参加するという、まれに見る状況である。管見の限りであるが、例えば次のような論点だ。

とはいえ、これらの議論の中心にある「リスク」と名前のついた数字はあまり疑問に付されることもなく使用されているように思える。放射線被ばくの議論で使われる「リスク」は「過剰相対リスク( ERR)*1」に基づいて議論されることが多い。

疫学の教科書の説明などをながめると過剰相対リスクの算出手順や定義は書いてある。また、「被ばくがなかったときにくらべて上乗せされる害のみつもり」といった説明もなされている。とはいえ、その意味するところが丁寧に書かれているものはあまりみかけない。上のリストにあるような各々の議論も重要だが、大元になっている数字の意味する内容もまた重要なはずである。

結論から言えば、おそらく多くの人が「リスク」について看過していることがある。例えば最初に引用した「被害者はたったこれだけ」といった見解が意図的、あるいは無意識に捨象していることである。これはサンダー・グリーンランドというUCLAの疫学教室の教授が20年も前から言っていることである*2。以下はグリーンランドの議論を私なりに咀嚼しつつ解説したものである。

4人の集団における過剰相対リスク

ある時間経過における被ばく集団を考え、この集団におけるガンの発症を観察する。この集団の人数をN_1 、うち人数A_1の発症が観察されたとし、平均発症リスクを

R_1=\frac{A_1}{N_1}

とする。同様に非被ばく集団において集団総数をN_0、発症者数をA_0とし、平均発症リスクを

R_0=\frac{A_0}{N_0}

とする。いずれにしろそれぞれの集団における発症者の割合である。これらの数字から相対リスクRR

RR=\frac{R1}{R0}

と計算される。被ばく集団のリスクのほうが多ければ、1より大きくなる。同じリスクならば、RRは1である。

続いて、過剰相対リスクの計算を行おう。被ばくをしていない集団がもし被曝したとしたら、と考える。被ばくをしていない集団において予想されるガン発症者の数はリスクR_1を被曝していない集団の人数にかけたものであるからR_1 N_0である。この予想される人数から実際に観察された発症者の数を引いた数が、予想される「被ばくによって発症する人数」である。

R_{1}N_{0} - A_0

となる。これを被曝していない集団における発症者の総数に対する割合として示すと「過剰相対リスク(ERR)」になる。

ERR = \frac{R_1 N_0 - A_0}{A_0} = \frac{R_1}{R_0} - 1 = RR - 1

であり、相対リスクRRから1を引いた数、という解説書などで目にする定義になる。RRが1.5だったら、過剰相対リスクは0.5となる。

もう少し具体的に考えてみよう。グリーンランドが例にあげた放射線被ばくのモデルをそのまま使ってみる。次のような単純なモデルだ。調査対象は4人である。放射線被ばくをしたのはそのうち2人、残りの2人は被曝しなかった。ほかの条件は全く同一であったと仮定する。そしてそれぞれを50歳から80歳まで観察する。被曝した2人がそれぞれ60歳と70歳で亡くなり、被曝しなかった2人はそれぞれ70歳と80歳で亡くなった、という結果が得られたとする。4人の死因はすべてガンである。

被ばくした2人について考えてみよう。被ばくがなければ彼らはそれぞれ70歳と80歳まで生きたはずである。彼らに生じた健康への影響には2つのケースがありうる。

  • ケース1:2人のうち、1人は被ばくしなければ80歳でガンにより亡くなったのであるが、発がんが20年早くなり60歳で亡くなった。もう1人に影響はなく70歳でがんにより亡くなった。
  • ケース2:2人とも影響を受け、それぞれ10年づつ発がんが早く起き、亡くなった。

ケース1の場合、放射線被ばくを原因として亡くなった確率(原因確率と呼ばれる)は1/2、0.5である。ケース2の場合、被ばくの原因確率は2/2であり、1.0となる。個人レベルで考えると全く異なっているふたつのケースであるが、集団で考えた時に平均寿命は同じ65歳となる。被ばくによる過剰相対リスクはどれだけになるだろうか。

A_1 = N_1 = A_0 = N_0 = 2
R_1 = R_0 = RR = 1
ERR = RR - 1 = 0

過剰相対リスクは0。つまりただの一人も放射線被ばくによって健康被害を被らなかったという結論が導かれる。極端な例であるが、これは被ばくによる影響の議論が盛んだった一年ほど前、一部にみられた「いずれどうせ死ぬ」という意見の定量的な表現である。

とはいえ、今行った説明には「頻度」という考え方がない。実際には被ばくした集団は早めに亡くなっており、これを勘案するために時間あたりの死亡の発生、すなわち頻度を導入する。被ばく集団においては50歳からそれぞれ10年、20年生存した。合計30年。被ばくしていない集団ではそれぞれ20年、30年生存した。合計50年。これらの数字でリスクを割れば、一年あたりのリスクが計算される。

I_1=\frac{R_1}{30}=\frac{2}{30}
I_0=\frac{R_0}{50}=\frac{2}{50}

相対リスクはしたがって

RR = \frac{I_1}{I_0} = \frac{50}{30} = 1.67

過剰相対リスクは

ERR = 0.67

となる。我々は、被ばくによる発がんの原因確率が、少なくとも0.5、多ければ1であることを知っている。一方、過剰相対リスクは0.67である。原因確率が0.5なのか、それとも1なのか、ということは0.67という数字のみからは知りえない。放射線による発がんの生物学的な基礎メカニズムが明らかである必要がある。がん研究はこれらの原因確率のどちらがより確からしいのか決定するほどには進歩していない。よって、疫学的な調査による過剰相対リスクの値をもとに「X人の損害」とすることが過小評価である可能性は無視できない。

しかしながら過剰リスクを原因確率であるとする発言は多い。「この被ばく量であれば、確率的にこれだけの人がガンで死ぬことになる」と予測する。これは想定されうるさまざまなケースのうち、少ない人数に被害が集中するように解釈している、ということなのである*3グリーンランドは、調査対象の集団の数が増えれば増えるほど、「最小数」解釈の相対的な過小評価は強まる、としている。

たとえば、そもそも50%の人間がガンになり、それに放射線被ばくで0.01%のガンの患者が上乗せされる、という過剰リスクがあるとしよう。これを、たとえば1万人の人間がいたときに、被ばくを原因として1人がガンになるだけだ、と想定するのが「最小の数の人間への集中」ということである。実は1万人のうち5001人が被害を受ける、という可能性もあるのである。

日本の政府や疫学者はICRPの勧告を参照にしている。ICRPの防護基準はBEIRの報告書や原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書を参照にしている。BEIRやUNSCEARの報告書が最も尊重している過去の調査は広島・長崎の原爆被ばく者の”寿命調査”(LSS)データから計算された過剰相対リスクである*4。したがって、日本の政府や疫学者が広く人々に説明する「たったこれだけの被害である」という説明は、ここで検討したように、個人それぞれにとっては過小評価である可能性が大いにある。確率で表現されたリスクは、最小の人数に集中するのではなく、広く薄く全般に影響を与える、という形である可能性もあるからだ。もちろん、人口がどれだけ減るかといった集団の動向だけが気になる人間にとっては関係のない話かもしれない。

参考文献

  • S Greenland, Relation of probability of causation to relative risk and doubling dose: a methodologic error that has become a social problem. Am J Public Health. 1999 August; 89(8): 1166–1169. Link
  • S Greenland, Underestimating effects: Why causation probabilities need to be replaced in regulation, policy, and the law, Bulletin of the Atomic Scientists May/June 2012 vol. 68 no. 3 76-83. Link


補遺1:寄与リスク

公害訴訟で使用される「寄与リスク割合」は過剰相対リスクの算出に逆応する考え方でを導くことができる。被ばくをしていない集団がもし被曝したとしたら、という考えで過剰相対リスクを算出した。寄与リスクの場合は、被ばくした集団のうち被ばくしていなくても発症したと考えられる人数、と考える。この人数はリクスR_0を被ばく集団の人数にかけたものであるからR_0 N_1となる。被ばくによってガンを発症した、とかんがえられる人数は単純な引き算である。

A_{1}-R_{0}N_{1}

この予想される「被ばくによって発症した人数」を被ばく集団におけるがん発症数にたいする割合として計算すると、

\frac{A_{1}- R_{0}N_{1}}{A_1}=1 - \frac{R0}{R1}=1 - \frac{1}{RR}=\frac{RR - 1}{RR}

Excess Fraction = \frac{(RR-1)}{RR}

であり、過剰割合(Excess Fraction)となる。疫学ではこの過剰率を一般に「寄与リスク割合(Attributable fraction、寄与危険度割合、寄与分画などなどと訳されている)」とみなしているようである。RRが1.5だったら、過剰割合は0.33になる。過剰割合EFは過剰相対リスクERRを相対リスクRRで割ったもの(正規化とも考えることができる)であり、関係は次のようにまとめられる。

EF = \frac{ERR}{RR}

上記の4人衆団モデルでの過剰割合は
ERR = 0.67
EF = \frac{0.67}{1.67}=0.40
となる。


補遺2:被ばくによるガンのリスクについての誤った情報

今回、リスクを巡るウェブ上での議論を眺めていて、次のページに行きあたった。
被ばくによるガンのリスクについての誤った情報
ガンになったからといって人は必ず死ぬとは限らない。死亡のリスクを発ガンのリスクとして理解すると、放射線被ばくのリスクをこれまた過小評価することになる。かくなる間違いを専門家をはじめ、政府の省庁、大メディアが、その問題がまさに問題であるその渦中において堂々と発表していたという、上記のリンクは盛大なる注目をあびるべきである。



応答の記録

応答はこちらにメモしたり返答します。

  • id:next49さんからトラックバックがありました。4人モデルの定義の仕方が曖昧だったので(全員がんで亡くなった)、この点付け加えました。
  • id:rnaさん
    • "リスク論のリスク比較だと損失余命で比較することが多いのでは。/こういう原理的な「過小評価かもしれない」は対抗リスクに対しても同様に成り立つのでリスク比較の文脈ではあまり意味がないと思います。"
      • 私:その損失余命の計算が放射線の影響を見積もる場合、今のところERRから計算されているのです。/対抗リスクとの比較を問題にしているわけではありません。
    • "将来のリスク評価で気にするのは原因確率じゃなくて損失余命の期待値ではないか、ということです。実際に発生した損害の賠償の文脈なら原因確率が大事かも。"
      • 私: その損失余命の期待値が予想される最小の被害者数(ERRを原因確率とする)を元に計算されているんじゃだめですね、とうのが私の先の返答の別の言い方です。こうした問題もあるのですが、問題を広げると焦点が合わなくなります。私が特に強調したい、というか、いいたかったことは、「これこれの過剰相対リスクでガンになるのはたったこれだけ、もともとガンになるんだから気にするな」という説明が間違っている、ということです。
  • id:mobanamaさん
    • "Preston 2007はがん罹患を指標とし、それをベースにしたICRP Pub 103における「損害」は罹患+各がん死亡率に各がんの寿命短縮も加味している値(を各種不確実性を考慮して丸めた値)。"
    • "それはともかくLSSで寿命短縮効果とか早期発症効果って解析されてないのかな。話としては聞いたことあるような気もするが定かではない。"
      • 私:広島大学の学生さんか院生さんの論文を見かけましたが、ちゃんとは確認していません。低線量では寿命が伸びている、とありました。健康管理が他の地域よりも厳しいからではないか、と考察されていた。
  • id:NOV1975さん
    • "低線量被曝の本丸は閾値の存在有無だと思うので、この考え方はわかるとしても直ちにだからリスクが上乗せされてるんだという結論には至れないな"
      • 私:リスクが上乗せ、ということではなく、個人にとってのリスクの実態は過剰相対リスクからは演繹できない、したがって政治家や医師が「被害は1000万人に1人の確率だから心配するな」的なことをいうのは間違っています、ということです。疫学は集団をそのまま扱うのであって政策を立案・実行する人たちには便利でしょうけれど、「私のリスク」についてはなにも教えてくれない、ということです。

*1:ERR:excess relative risk

*2:公害訴訟の健康被害認定において、過剰リスクがその認定判断の基準となってきたが、本文で述べたようにこれは原因確率を過小評価することになる。このため被害者が損失を被ることから批判しており、これは後に米国における認定基準の見直しにつながった。

*3:実は、こうした過剰リスクという統計学的な数字の原理的な限界は、日本においてもすでに議論になっており、原爆症認定集団訴訟の認定審査会ですでに認められており、厚生労働省は2001年に改訂した原爆症の認定基準に取り入れた。この点に関しては、こちらのページに詳細が書かれている。また、厚生省の平成13年度委託研究報告書「電離放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」にも記載されている。こちらに抜粋した。

*4:LSSの解析は今回本文で説明したような単純な割り算ではなくポアソン回帰によっている。採用されているモデルは原理的に上で説明したようなリスク係数の掛け算、すなわち”上乗せ”であることにはかわりがない。こちらの濱岡さんのページには、放射線影響研究所がおこなった解析の説明がある。さらなる詳細はこちらの労作を参照されたい。Rを使って計算しなおした経過をスクリプトにすべて記述してある。自分でも計算することができる。直接今回の議論とは関係ないが、この放射線被ばくの健康への影響を明確にしめした集団データの被ばく線量の中央値が10mSvであるということは今回私ははじめて知った。意外と低いのである。