ドイツの教育格差

空手の先輩がウルグアイに月末に引っ越すので家に呼んで夕食を供した。ギムナジウムの物理の教師なのだが、それを3年ほど休職してウルグアイの私立高校で、ドイツ語で物理を教えることにしたのだそうである。海外に一度住んで別の文化の中で自分がなにを考えるのか体験してみたい、とのこと。
ウルグアイの私立高校は金持ちの子供が通うウルグアイの上流社会だから、なんかやりにくかもなあ、クレームとかすぐにくるそうだし、という話からドイツの中等教育状況の話になった。ドイツの子供は4年間の小学校を終えた後に、3種類の進路からひとつを選ぶ。ギムナジウム、ハウプトシューレ、レアルシューレの三種である。ギムナジウムは大学に進むことになり、ハウプトシューレとレアルシューレは前者が専門学校、後者が実業学校という感じで、たとえば職人や銀行事務員になる。10歳で進路を決めてしまうドイツのシステムは日本でも「能力に応じて誇りをもつことができるシステム」などという感じで結構有名だと思うのだが、30年前の事情と今の事情はかなり違っている。30年前、ギムナジウムに進むのは学年の10パーセント程度だったが、今や50パーセント。かつてはギムナジウムに進むのは特別な一部の人間で、専門学校や実業学校に進むのは普通のことだった。しかし今ではギムナジウムに進むのが普通になって、専門学校生や実業学校生に対する「劣等生」「落ちこぼれ」という意識が今のドイツにはある。特に実業学校には移民の子供が多く、こうした意識に拍車をかけている。ギムナジウムに行く子供が増えたのはドイツ政府の方針なのだそうだが、先生をやっている先輩の側からしたら、学級あたりの生徒数が増え、さらにかつてはギムナジウムにいなかったような物分りの悪いのがどんどん増えて、生徒の能力に幅ができてしまって教えにくくてしょうがないのだそうである。先輩のこのコメントを聞いて、能力差が自明なんだなあ、と私は思った。日本の高校の先生だったらあまりいわなそうなコメントである。
彼が見るドイツの中等教育の将来は、私立学校が増加して、階層化が進むとのこと。この将来像はまさに今の日本なのだが、要するに一般化したギムナジウムのさらに上級版が私立学校として開設され、金持ちの子供だけが行くようになるだろう、とのこと。これはまずいんだよ、中世以来の歴史の中でようやく一般化した格差のない教育システムが壊れようとしているんだ、という先輩に、いやー、日本のほうはもうなかば壊れちゃっていてねえ、という説明をした。というわけでいわゆる先進国はどこも教育の機会に格差が再び生まれつつあるのである。
一緒についてきた同僚だという数学の女の先生が、10時半ぐらいになって「採点があるんでもうかえらなきゃ」と家に帰っていったのだが、1時ごろ先輩がこれまた「採点がまだ残っているんで帰る」と家に帰っていった。研究者だと「実験があって」「明日朝早くにセミナーで」といったことをぶつぶついいながら帰る。「採点があって」というのは妙に新鮮だった。

[追記] フランスに関しての情報。

フランスでは、親の社会階層にかかわらず、子供の教育機会を増やすことで社会的流動性が高まり、平等な社会が実現するという平等化政策が採られてきた。しかし、本書は様々なデータを基に「教育の長期化」が実は不平等をもたらすと警鐘を鳴らす。例えば、1950年に5%であったバカロレア(大学入学資格)保有率が95年には66%に達したが、管理職の父親をもつ男子の53%が管理職に就いたのに対して労働者の父親をもつ男子では11%に留(とど)まっている。
 その原因として、著者は形式的には平等な教育の機会が与えられていても、実際には親の階層によって子供が受ける教育の程度が異なることを指摘する。例えば、教職や自由業の親をもつ生徒の21%がエリート校であるグランドゼコールに入学したのに対し、単純労働者の親をもつ生徒では1%未満に過ぎない。
 また、教育の長期化により多くの高学歴者が生まれたが、それに見合う雇用が創出されず、学歴インフレが起きている。このため、親世代より高学歴な子世代が親世代と同等の社会的地位を獲得できないことになる。
 さらに、高い社会的地位に就くために高学歴を求める学校の手段化が進行し、生徒が成績や進学、学位といった功利性以外の動機では勉強しなくなったと著者は嘆く。

フランスの学歴インフレと格差社会能力主義という幻想 [著]マリー・ドュリュ=ベラ [掲載]2008年02月24日 [評者]小林良彰慶應大学教授・政治学
http://book.asahi.com/review/TKY200802260113.html