二つのパレスチナ

しばし共同研究をしていた大学の方の物理化学専攻の院生が、いつのまにやら引っ越していたらしくメールがやってきた。新しい研究室が生物の研究室なのでいろいろ勉強して大変だけど楽しい、とのこと。引越し先はイスラエルである。出入国大変なんだろうなあ、などと余計な心配をしてしまうのはイスラエルといえばシャロンシャロンといえばアラブの敵、21世紀の壁、ウエストバンク、パレスチナ人抑圧虐殺囲い込み、だからである。国土をもたぬ悲劇の民族ユダヤ人という歴史的な経緯はともあれ、目下の極悪非道な国というイメージが先行してしまうのだが、ワイツマン研究所なる超一流研究所がある。欧米日にはないようなオリジナルな研究が突如浮上してきたりするので、理系関係でいえば隠しジョーカーのような存在、いわばなぜか天才群雄割拠な謎な存在なのである。特に私の関係する分野にはイスラエル人が比較的多い。そうこうしているうちに、反イスラエルパレスチナ人だけではなく結構な数のパレスチナ人がイスラエルに同化してキャリアを重ねており結構当たり前のことなのだ、と認識を新たにするにいたった。例えば(ありえない話だが)日本が中国に占領され、日本人居住区が関西だけになったとしよう。シャロンのような中国人の統治者が居住区に我が物顔で大阪に軍隊を差し向け、ことあるごとに理由もあまりなく住民を虐殺したとする。半分以上の日本人はおそらく、シカタガナイ、と現実的な選択を行い中国政府に唯々諾々と従うだろう。第二次世界大戦で負けた次の瞬間からほとんどの日本人が占領軍に従ったように、である。うちの研究所にもパレスチナ人が何人か普通の顔をして研究をして馬鹿話をしている。最近足繁く通っている近所のフレンチ・カフェのバーテンもパレスチナ人である。彼の場合も西洋化されたほうのパレスチナ人で、そもそものドイツ留学の目的はファッションデザインを学ぶことなのだそうだ。それを聴いて即座に、あ、留学先間違えたね、といったら肩をすくめて、ホントに、とあまり後悔もしていない様子だった。すぐに彼のボスのフランス人経営者の悪口に話題は戻り夜はそれで終わったのだった。そんなわけで報道で見かける悲劇的な民族、最新鋭の戦車に向かってスニーカーTシャツで投石する勇敢なパレスチナ人と周りのパレスチナ人がどうも頭の中で一致しない。故サイードが苦労していたのはこのあたりなのかもしれない。