高校生のインタビュー

夏の学校とかで、高校生が20人ぐらい研究所にやってきた。出身国はドイツ、日本、イスラエル、フランス、ベラルーシポーランドイスラエルなどなど。広報の人に頼まれて、彼らとのディスカッション。こちらがわは7人ほど。
「ボクはいろんな興味があるんで、科学に人生をささげるなんてできそうもないんですが、それでも理系にいっていいのでしょうか」という質問をドイツ人がしていた。もちろんいいです、と答える面々。博士課程を取ったあとに広報の仕事でサイエンスライターみたなことをしている人が、私がその例です、と博士課程の研究と、現在の仕事の説明。まあ、でもこれには国によって事情がちがって、フランスや日本は博士をとったらオーバースペックでつぶしがきかない、と私とフランス人が補足。
イスラエル人の男の子が、「研究に対する情熱はどこからわいてくるんですか?」。これは答えがいろいろだったなあ。「科学はおもしろいのだ!」と断言する人もいたのだけれど、答えになっていないな、と思って私は「最初から情熱を持つやつなんて珍しい。対象と関わっているうちに情熱はだんだんと醸成されるのだ。されないことだってある。相性があるからね」と言ってみた。質問した高校生は少々不満そうだった。その顔をみながら「この情熱ってのは一目ぼれの恋愛とちがって結婚みたいなものだと思うよ」といったら、あー、そうなんだ、と納得した顔をした。
フランス人とイスラエル人が交互に「基礎生物学を研究することの意味は?」と質問。これにはイスラエル人の仲間が間髪をいれずに「医学への応用」みたいなことを喋り、ポーランド人の仲間がスピンオフのベンチャーの話など。これまた高校生は不満そうだった。実は私も不満。「お金の話ではなくて」、とフランス人高校生がいいかけたので、私は、そもそも科学的思考というのは君の国のデカルトが方法化したもので、その還元主義に乗っとって物事を筋道立てて考えるのはとても強力な論理ツールなんだ、といった。実は”科学的に考える”というのは生やさしいことではない。還元主義的になにかを考える、というのは時間のかかることだし、焦らないことが重要だ。その訓練をするのが大学院だし、基礎科学の研究者はその方法をプラクティスしている、という存在そのものが非科学的な思考が蔓延するこの世の中では意味あることだと思っている。
と、自画自賛のごとき説明をしたのだが、考えこむフランス人高校生の顔を眺めながら、事実上今の大学院は「搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た!」にほとんど似たような構造の労働搾取のような面もあるし、断片化されるプロジェクトや、短いパブリッシュのサイクルに駆り立てられる研究生活はそもそも息の長い思考をするための訓練になっているのだろうか、とか、研究者にしたって実際には政治家がおおいし、などと心の中で思っていた。今の科学の状況を説明し、なおかつそれでもやることに意味はある、と説明するには時間が足りないな、と思った。あとで一緒に座っていたポーランド人が「還元主義だけではだめだ、自己組織化はどこいった、エマージェンスはどうした!」などと文句を言いにきたのだが、高校生にそんなこと説明するのは詐欺っていうか、なんていうか。まずは還元主義、が科学だろう。

搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)

搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)

バイクやガソリン代は自腹で、「荷物を何個届けたか」のみで支給される歩合制の報酬のために、バイク便ライダーたちは命を削るような働き方をしているという。さらに不幸なことに、それを「おかしい」と感じ取る知識や経験にも乏しい。著者は同じような搾取の構造が、SE(システムエンジニア)や介護士の世界にも存在すると指摘し、本書を通じて彼らに情報交換の重要性と連帯を叫ぶ。