年末雑感
この場に関して振り返るとキーワードがなにかと気になる年だった。自分で勝手に作ったものも含めてあまり考えずに並べると「文革2008」「ニコ現」「『リアルのゆくえ』」「<佐藤優現象>」。うまく言葉にならない通奏低音がそこにはあって、一番しっくりするのはtoledさんが書いた記事「永遠の嘘をついてくれ」。力のこもったこの記事の考察を頭に巡らせていると、そういえば『"癒し"のナショナリズム』という面白い本があったな、とおもいだす。
- 作者: 小熊英二,上野陽子
- 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: 単行本
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一方で同時に2007年に金光翔氏が職を賭して指摘した<佐藤優現象>なる国民戦線、ジャーナリスト・学者・評論家と呼ばれる人々の体制化が2008年を通じて進行した。メディアは国家・社会動向に対する批判力を自ら減滅させ「リベラル」や「左翼」はたんなる形式となりつつある。嘘でもいい、のだ。それはもはや批判ではなく”癒し”としての立ち位置にすぎない。
かくして我々は「合意形成をいかにして行うのか・あるいはそもそも行いうるのか」という問題の前に立たされている*2。この古くてしかし現代の問題の前で、たとえばその”癒し”ないしは嘘を『島宇宙』として切り離し、「歴史の"THE FACTS"は知りえない」という戦略(あるいはより一般化して歴史ではなく時系列、といってもいいだろう)を掲げて邁進している方もいる*3。一方で、ナショナリズムをイナートな形で「嘘」と”癒し”として供給しよう(かのように!)、という考え方も方々で提案されはじめている。私はそのいずれにも賛成できない。以下の意見にまったく賛同する。
否定神学のように屈折した形で絶対性を掲げる思想に対しては、私もはっきりと批判したほうがいいと思う。しかし、人間が絶対性を求めることそのもの、もっと言えば他者との共通の規準や価値を求めることそのものを否定することはできない。なぜなら、それは他者との関係性における悦び、他者から承認されることへの欲望が深く関わっているからだ。他者から認められたい、愛されたいという欲望が、名も知らぬ大勢の他者たちからの承認を求めることへ、つまり社会から承認される欲望へと変わるのだ。そこに、誰もが共通に認めるような価値、普遍性のある価値への欲望が重視される理由がある。
したがって、他者との関係性における不安は、個人のコミュニケーション問題にだけ還元するわけにはいかない。言語的コミュニケーションにしろ、無意識のコミュニケーションにしろ、他者と認めあい、わかりあうためには、共通に認められるような価値や規範が必要である。そしてそれは、他者と話し合い、意見を出し合うなかで、誰もが納得するような価値やルールとなるだろう。そこに、私たちが普遍性を求めていくのは避けられないし、必要なことでもある。書評 07. 東浩紀『存在論的、郵便的』@Yamatake's Psychology Site
http://yamatake.chu.jp/04ori/2cri/7.html
私も人は「島宇宙」に自足しないと考える。あるいは今の状況でナショナリズムをコントロールできる形で供給する、という考えもまた、あまりに楽観的ではないかと思う。前者に関していえば、人は情報の断片からでもいずれは「価値」や「規範」を感得することができると私は考える。人間の能力は情報の蓄積にあるわけではなく、情報の総合にあるからである。あるいはプログラムを作ることではなくプログラムを批判することに。後者に関して言えばなぜいまさらナショナリズムといえば十分かもしれない。
絶対性を希求しつつも背景としない、しかしあまねく広がるネットワーク(インターネットに限られるわけではない)そのものに依存するような情報の流通と定常状態、そこに人が依拠するような状況があってもよいのではないか、と私は考えている。事実とはとはなんぞやということ、たとえば2007年の広告「THE FACTS」はどこが間違っているかということは少なくともウェブ上に掲示されてしかるべきなのである。そうした事実の掲示に対してシニカルな冷笑を与える態度こそ、理論を裏付けるべく現実を工作する運動としか思えない。たしかに絶対はない。しかし求めよ、されば与えられん。これは答えがあるということではない。答えを目指す、という志向性において意味がある。猿でも啓蒙は行う。いわんや人間をや。
近況
- 仕事はやり残した内容がずらずらと並んでいて、このまま持ち越し。全般に仕事の断片化が亢進してしまって、なんとかうまく脈絡がつくようにしたいものだとため息。
- アルザスの方で友人の結婚式があって、後見人として出席。フランスの市役所の結婚式はなんともポップに軽い感じでよかった。パスポートを忘れていったので、しかたがないから後見人の代打を頼もうと思っていたら「運転免許証で大丈夫」というので半信半疑だったのだが、本当にOKだった。ドイツの役所だったら絶対にダメである。披露宴はワイン畑の中にあるお城。寒くて仕方がなかった。
- 今年はどこにもいかないでいろいろ用事をおえようと思っていたのだが、時間ができると人が来訪、その合間には家の電気器具を直したり掃除したりとなんだかんだで用事が済まず。
- 年末を区切りに他の土地に移る友人が多く、寂しいこと限りなし。とはいえ、年末でよっぱらった人間があちらこちらから電話かけてくる。あー。にぎやかでよろしい。まあ、普段私もやるんで人のことはいえないが年末だけにラッシュである。
- というわけでみなさま、よいお年を!
降誕節飯状況
- 19日(金)夕飯 カルパッチョ、カルボナーラ
- 20日(土)夕飯 揚げ茄子
- 21日(日)夕飯 忙殺で忘却
- 22日(月)夕飯 忙殺で忘却
- 23日(火)夕飯 ノルマンディー産生牡蠣、ムール貝蒸しタイバジル風味、春菊おひたし、清酒「越乃景虎」、「麒麟山」。
- 24日(水)夕飯 鴨の丸焼き(詰め物にりんご、マジョラム、玉葱、パンくず:南ドイツのレシピ)、ネロ・ダボラ。
- 25日(木)夕飯 ネム、鯵の開き、納豆、台湾風あさりと手羽のスープ。
- 26日(金)夕飯 スキヤキ、オクラみぞれ和え、もやしナムル、ビール。
- 27日(土)夕飯 アルザスで友人の結婚式、お城のフルコース5時間でへとへと。羊がうまかった。でてきたワインは当然のごとくアルザスで三種類。
- 28日(日)夕飯 ざるうどん、大根とホタテのなます、もやしナムル、鶏唐揚げ。
- 29日(月)夕飯 ウズラのテリーヌ、ラムチョップ。ドイツプファルツのカバネソヴィニオン。
- 30日(火)夕飯 銀鱈の粕漬け、納豆、蒸し茄子。