我々は歴史学者になる必要があるのだろうか。

歴史に対して価値判断を避けるか避けないか、という論点がある。歴史学者にはそりゃそう、価値判断抜きに完全なる事実を記述してほしい。それが不可能なことはわかっているが、正確を期して欲しい。南京大虐殺はそもそもあったのか、なかったのか、被害者は3万人だったのか、30万人だったのか、あるいは300万人だったのか。私情を挟まず、歴史学者自身の文化的背景を滅却し、公平に判断して欲しい。私情を挟むのは司馬遼太郎のような”歴史家”にまかせればいい。
しかし、歴史の正確な記述という考え方そのものが無理だ、というのもまたそうなのである。科学者が観察・実験を行うときに、自然そのもの全体性からそのほんの一部しか記述・対象としえない、ということと同じだ。世界にフィルターをかけぬ限り、記述や観察は行えない。大森荘蔵のいう「重ね合わせ原理」である認識主体とはまさにこのことを意味している。「私」とはすなわちフィルターなのだ。認識はフィルターに吸収されるエネルギーだ。透過した光の先にはなにもない(デカルトの場合には松果体という断固たる主体があった。)。ともあれ正確を期し、永遠にありえない事実の記述のために歴史学者は努力する。価値判断の排除もその努力の一つだ。しかしその歴史を眺める我々も、やはり価値判断を停止して平たく眺めなければいけない、のだろうか。すくなくとも私は歴史学者ではない。このように考え始めると私の想念は歴史、文化をめぐる価値判断のモンダイで渦巻きはじめる。
オウム真理教の事件は歴史だろうか。私にはよくわからない。すでに歴史のような気もするし現在進行形の文化のような気もする。いずれにしろ、私はオウム真理教をめぐる価値判断について考えてしまう。オウム真理教を中心とする東京の地下鉄サリン事件が1995年にあった。一般的な認識は、「狂信的な集団の行った一種のテロリズムである」ということになるだろう。あるいはもっと簡単に「キチガイの集団」ということかもしれない。テロが行われたそもそもの理由は私には未だに良くわからない。一種の国家転覆テロであったようにも思えるし、あるいは組織存続の上でのガス抜き、いわばエントロピーの定常保持メカニズムのようなものだったかもしれない、とも思ったりする。でも本当のところは私にはわからない。私はただ慄然とするだけだ。なにに対して慄然とするのか?私が慄然とするのは、彼らの行為の凶悪さに対してではない。邪悪な行為に対して恐怖、ないしはまがまがしさを感じ、その被害者になる可能性を想像して慄然とするのではない。また、そのような悪行を駆動する人間理性の暗部に対して慄然とするわけでもない。私が慄然とするのは自分がそこに加わっていた可能性を思って慄然とするのである。
オウムは科学技術省なる部門があり、生物化学兵器の開発と製造を行っていた。科学技術省の責任者は私の行った大学院の卒業生だった。彼がよくニュースに登場していた95年の春、私はその大学で日々実験に明け暮れていた。大学から坂を下ったところにあったラーメン屋まで、夜遅くの夕食のためよく通っていた。店ではいつもテレビがつけられていた。ニュースを眺めたりしながらやわらかく煮込まれた特大チャーシューの入ったラーメンを啜っていた。科学技術省の長官が殺された日の直後、ニュースは盛んにそのことを報道していた。それを見ながらラーメン屋のオヤジがぼそっとつぶやいた。「あいつ、そこ座ってラーメン食っている分にはええやつやったんけどな」。ぎょっとしながらおやじを見ると、タバコの煙を直線状に吐き出しながらどうやら彼の定席だったらしい奥の方の席を目でみやっていた。聞いてみれば、あの不可解な殺され方をした科学技術省長官は、この店の常連客だったそうなのだ。寡黙な人だったという。
オウム科学技術省がサリンを製造して撒布したという事実は、アメリカの科学者が原爆を製造して日本に投下したという事実につらなると私には思えていた。命令されれば科学者はやる。そのことが再確認されたということなのだ、と私は思っていた。そしてそのサリン製造の責任者が、私が食べていたのと同じラーメンを数年前に同じように啜っていたのだった。だからといって私がオウムに加わっていたかもしれない、と想像する確固たる理由にはならない。しかし私が浪人している時分、御茶ノ水の予備校に通うはずなのが神田の古書店街に事実上通い、雑多な分野の新旧の書籍に耽溺するということにあいなった私がよくみかけ、時には興味を持って手にとって眺めていたのは書泉グランデの上の方にあったオウム関連書籍コーナー(そのころはそんなコーナーがあったのだ)にあったブックレットだったし、座禅を組んだ状態で苦悶の表情を浮かべながらも宙に浮かぶ麻原彰晃の写真を見ながら、どうやったらこんな風にうかぶのかなあ、などとなかば本気で考え込んだりしていたのもまた私だった。ある友人は、実際に道場まで見に行ってあれは浮いているんじゃなくてジャンプだ、と興奮気味報告してくれたりしたものだが、彼はジャンプだけど浮いている時間が普通じゃなかった、などと付け加えもしていた。実際に私がその道場に赴かなかったのは、単に私が怠慢な人間だった、ということにすぎない。もし私がもうすこし生真面目ならば、自分の目で確認しに行っていただろう。
そんなことを思い出すと、あのラーメン屋の席に座っていた科学技術省の責任者はとても身近に、隣に座っていたかもしれない、と想像することは難しいことではなく、その場所がラーメン屋ではなくオウム真理教の道場だった可能性さえある、と私は慄然としたのだった。自分もまた、やっていたかもしれない*1。私は南京大虐殺についても同じことを思う。今現在の私、コンピューターの前でキーボードを打っている今の私が次の瞬間に乱射乱斬を始めるとはどうしても考えられない。でも20歳の私が大日本帝国の神兵となり、中国侵略の最前線で戦うこととなったときに、私は民間人の虐殺に手を染めるだろうか。もしかしたら、その私はやるかもしれない。ましてや、神兵による100人斬りの報道を興味本位で読んでいた(そう、夕刊紙に掲載される有名タレントの不倫疑惑を読むように)当時の世相を思えば、私はその可能性にはっとせざるを得ないのだ。私は何人の人間を殺し、何人の女を強姦するのだろうか。その慄然とする瞬間、とてもではないが私は自分を歴史学者に模すことはできない。

関連リンク
http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20041019
http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041022

*1:自分が当事者になるかもしれない、という思いは、被害者になるかもしれないという想像はすれど加害者になるかもしれないという想像はしない(できない?)、というアンバランスで片手を欠いた状態にあるのではないか、というのが前日ここで引用した”健全なる善男善女”のキーワード群から推し量ることができる。いわく”良識的”、”普通の感覚”、”健全なナショナリズム”などなど。なぜ自らが善でありかつ悪でないことを無邪気に信じることができるのか私にはとても不思議である。歴史が教えるのはまさに、人間が善でありかつ悪であるということに他ならないのにもかかわらず。