左派の失策と<佐藤優現象>

2008年の中国はジェットコースターだな、と思う。餃子に始まり(これは日本との関係だが)、チベット、世界を巡る聖火リレー地震、そして夏には北京オリンピックが待っている。地震があるまではオリンピックに全て関連しているな、と思ったのだが、地震まで起こってしまっては、どうにも説明がつかない。偶然とはすごいものだなと思う。
チベットの騒乱への日本における対応を巡って「左派の失策」論争がしばらく前にあったのだが(inumashさんのこのエントリーあたりを中心に)、さまざまな人の主張を眺めていてなんかしっくりこないなあ、と思っていた。左派は失策したのかしていないのか、という問いはともかくも、どこか煮え切らないものを感じていた。
一方、国連人権理事会の勧告への日本政府の対応のレビューイングが昨日あった関係で、金光翔さんの「<佐藤優現象>批判」が掲載されている雑誌インパクションを寝転がって読んだ。正月に日本で買ったのだが読んでいないことを思い出したのである。タイトルはなにやら佐藤優を批判する内容のように見えてしまうかもしれないがその実は左派批判であって、その関連で読もうと思って買ったのだった(なお、金光翔さんはこの論文を書いたことで勤め先の岩波で叱責を受け、編集から校正に左遷されているようである)。内容は上記「左派の失策」論争にひとつの回答を与えるものであるように私には思えた。目下、ウェブ上で公開されているので読みたい人は自由に読むことができる。

金光翔「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載)
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html

この論文の内容はまさに「左派の失策」を巡るものだ。しかしながらこの失策は、チベットの騒乱に乗じてチベットの旗を掲げる排外(中国)主義者の隣で私はいかにチベットの人々を支持しようとするのか、といった最近の話だけに限るものではない。<佐藤優現象>、すなわちすでに起こって久しくなるという左派の崩壊過程、排外主義浸潤の分析である。関心のある方には一読を薦めたい。