仏EU憲法投票

週末にフランスでEU憲法是非の国民投票がある。明日はドイツの休日なので、研究所にいるフランス人達は、投票もあるんで帰りまーす、とつぎつぎに帰省していく。在外投票も可能だが、彼らのほとんどはドイツに住民登録していない。ル・ペンが勝つか?の選挙の時にフランス人がほとんどいなくなったのに比較すると熱はそれほどでもないが、わざわざ投票しに帰るんだなあ、と感心する。とはいえ、一般的に投票率は40パーセントぐらいなのだそうだ。
おなじく帰省していったノルマンディフランス人のいうところにによれば侃侃諤諤の議論がずっと行われていて、例えば犯罪を犯した場合の留置規定が人権思想にもとる、という点を挙げていた。疑いがあるだけで留置できる、ということらしい。ノンが53パーセントだ、といっていたが、これは浮動票の30パーセントをウィに向かせるための政治的な操作かもなあ、などともコメントしていた。

なんて時にちょうど同じトピックで浅田・田中対談

投票からずれるけれど、

EUの基礎知識
欧州構想をめぐる左翼の迷走

 左翼の一部がこのように欧州を変に担いでいる(そして以前にもまして明らかな対立が生まれているように思われる)事態は、ピエール・ブルデューの言葉を借りるなら、彼らの「免疫防衛力」が損なわれたためだと言えそうだ。こうした弱体化は二つの変化に起因する。ひとつは、1980年代を通じて経済自由主義へと段階的に転向していったことだ。もうひとつは、政治的な指針を失い、構想が枯渇した左翼にとって、欧州が(その内実とはかかわりなく)理想の代替物となっていることだ。

 この「後ろ向きの大躍進(3)」は、欧州連合EU)を集大成とするわけだが、そこには多くの原因がある。なかでも大きいのは、社会学的に見た「進歩主義」陣営の出身構成と、自由主義者による思想の場の支配や影響力だ(4)。しかし、昔なら一部の政治指導者だけの「階級的選択」と呼ばれたに違いない事態を超えて、「左翼の民衆」のかなりが冷めた態度で、とはいえ大まじめに、憲法条約賛成派に加わっている。彼らにとって欧州は、一歩間違えればイデオロギー上の反転になりかねないような譲歩に値するほど、優先度の高い理想になっているのだ。つまり、こうした態度にはある種のあきらめが潜んでいる。

(中略)

 資本主義や自由主義に対する代案はどれも過去の歴史に照らせば不可能に思え、この累々たる屍のなかにあって欧州は理想の代替物のように映っている。それに、左翼の(マーストリヒト条約あるいは憲法条約への)賛成派が引き合いに出すのは、現在よりも将来の欧州の姿である。たとえ自分の望むところと一致しないとしても、ほかには何もないような気がするので、彼らはEUにしがみつく。しかしながら、欧州の建設とはひとつの社会的、経済的な現実であって、まさに実感されるような社会的、経済的、政治的な影響をおよぼすものだ(5)。そうしたなかで政治文化が徐々に解体され、人々はありのままの現状を受け入れやすくなる。大陸欧州の統合は、かつての労働者運動の国際主義と取り違えられているが(6)EUは被支配者の国際的連帯の表明というよりもむしろ株式会社に近い(7)。ヴィクトル・ユゴーと彼の求めた「欧州合衆国」の創設がよく引き合いに出されるが、この詩人にとって、それが「フランスに本部を置く共和制の」欧州だったとはっきり語られることはない。

太字部分は引用者によるもの。こうしたロマンチズムはEUという超国家概念にまとわりついていて、つねに私は感じる。