ポスト・中上健次もかくや

http://d.hatena.ne.jp/aikawa8823/
本にして欲しい。

私の思い出と重なったのは次の話。コインランドリーで洗濯していた服が盗まれる話。
「ブルー」
http://d.hatena.ne.jp/aikawa8823/20040304

私は当時、家賃が月二万円の風呂なしトイレ共同の4畳半に住んでいた。大坂の某所。階下がカラオケスナックで、入居した最初の晩、21時半に突如カラオケの轟音が部屋の中に鳴り響き、盛り上がるにつれて音量も上がって遂には床全体がボディソニックになった。低波長に共鳴して流しのコップがチリチリと鳴り始め、私は仕方なく最初の夜、ひとりで飲みに出かけたのだった。私の部屋は、幅2メートルほどの狭い路地に面していた。その路地には客が5人入るか入らないか、という程度のここは戦後の闇市か、というような飲み屋スナックバーがひしめいていて、夜半を過ぎれば嘔吐、痴話喧嘩、ヘタクソな口説き文句、放歌高吟でますます騒がしくなるのだった。

そんな場所だったので、洗濯機などはなく、私はコインランドリーで服を洗っていた。素晴らしい点は、隣が風呂屋だったということだった。風呂屋好きの私はそのために下宿に決めたといってもよい。他にも家賃1万7千というオプションもあったのだが、3000円は風呂屋の隣に住む特権のためだ。風呂屋のその向こうにはコインランドリーがあった。場末での生活に慣れたころだった。私はコインランドリーの洗濯機に服を放り込み、風呂屋の駐車場を抜けて(その風呂屋は一階が駐車場になっていた)路地を伝って私の部屋の向かい斜め下にあるお好み焼き屋に向った。

キープしてあるいいちこでサワーを飲み、ニュースステーションを眺めながら黒光りする額をもつおなじく常連の土方のオヤジと世間話をしながらホタテ貝柱の酢の物をつっつき、頃合を見計らって再びコインランドリーに戻る。洗濯物を乾燥機に移し変えて再びお好み焼き屋にもどり、新に参入した元化学の院生で当時自動車修理工でレコードのためだけに4畳半のアパートを二部屋続きで借りているこれまた常連と飲み始め、すっかり酔っ払ったころに私は洗濯物のことなどすっかり忘れていた。ヨタヨタと自分の部屋に戻ってそのまま熟睡、明け方にはっと目覚めてコインランドリーに急いだが、私の洗濯物はすべてなくなっていた。私が所持していたTシャツや下着の数は1/4になってしまった。一番のショックは、10歳のころから使っていた、しっかりとした生地のお気に入りのバスタオルが盗まれたことだった。しばらくの間、家の周りの浮浪者や住人、風呂屋の客などが私のタオルを使っていないか、と疑りの目で見ていた。その後二度と目にすることはなかった。

そんな思い出もあるが、今でもあの小さな場末の町が私は好きだ。個人空間という17世紀以降の観念を破壊するには余りあるエネルギーが渦巻いていた。自分の空間なんてない、と思い始めたのはあの極めてアジアな環境だった。時々ふらっと行ってみると知った店はなくなっていたりする。でもここかな、と思う外見の飲み屋ののれんをくぐってみると、昔知った常連達があいもかわらぬ様子でグラスをつまんで、グタグタと世間話に興じているのだった。