秋の気配

あちらこちらで沸騰する議論などを眺めて、あー、ドンパチすごいなあ、派手にやってますなあ、などと思いつつ経過なぞを少し読んだりして、これはあきらかにこちらのほうがもっともらしい、あるいは、議論になっていませんね、などと勝手に判断させていただき、また別の議論などを眺める。そうこうするネットにおける経験はずいぶん長いことになるなあ、と思うのだが、きわめて単純に分類すると

   (1)ほぼ対等な知識・頭脳を持つ人間が互いに議論を行っている。

   (2)明らかに知識・頭脳に差のある人間が互いに議論を行っている。

(1)はともかく。(2)の場合、あっという間に結論がでそうなものであるが、殴り合いやリアルでの議論と違ってなにしろいくらでも書ける文字である。ひどいときには差があまりにあるために結論に負けている側がなぜ負けているのか理解できないという恐るべき状況になっている議論なぞもある。かくなる八方塞的状況においてもはや議論は議論ではなく対話である。知識・頭脳に勝る側が工夫を凝らして理解していただくという状況としてははたでみていてもはやこれはサービスですなというような経過になることもある。もちろんわたしなぞもサービスしていただく状況になることがしばしばあるので下記のようなことをいうのはなんだが、それがサービスであるのではなく議論の延長であるとサービスされている側に理解されてしまうと上記にあるような八方塞が始まる。サービスされている側が反論するのであるから、こっけいなことこの上ないのだが、この反論は結局やくざのワルツであるところの、ごねる、脅す、開き直る、の三拍子となる。あるいは私が”文革2008”と呼ぶところの、インテリジェンスそのものを糾弾するという状況になる。というか、最近この手の状況があまりに多い。本来ならばひざを突き合わせて懇切丁寧に対話すべきなのだろうが、ネット上の土俵というのは土俵際が存在しないために延々に拡散しつづける。かくして双方がしびれを切らすと罵倒合戦のごとき状況になり、さらにはそれが罵倒であるかどうかの品定め合戦になり、はたしてこれはいかなる主題であったのか五里霧中、対話はまさに迷宮入り。というか、ギャラリーを含めたわかるやつに伝わってくれ、という陣地戦@グラムシ的な考えはさておいて、ネットにおける(2)的な状況がこじれた場合、果たして処方箋はあるのだろうか。私はないと思うのだよね。だとしたらできること、というのは結局、知識を系統立てて公開していく、とかそんなことしかないのではないか。…とまあ、こんなこと書くとエリート主義とか糾弾されるのかな。というわけで今一度強調するが、あくまでもネットにこの点において処方箋はないだろう、あるいはなくなりつつあるだろう、ということである。井の中の蛙が、わたしは井の中にいないと主張するんだったらはあ、そうですかとしかいえないのである。なんとも悲しいことだけど。どことはいわないが、複数の場所見ていてそんなことを思っている。

追記 080911 進行性論点ズレ症候群に関して

id:aksumiフレームの確認と論点提示自体の妥当性とか注意してほしいな、と思う./理解のレイヤが異なる人が双方にいて、そういう人に限って罵倒を繰返しているな、とか思う.

id:namawakari [議論][同意] 「ネット上の土俵というのは土俵際が存在しないために延々に拡散しつづける」そして本筋が忘れられる。/ズラし続けるといつしか味方が現れるのもネットの特徴かな

これらのコメントを見て思いついたんだけど、日付やエントリーごとに断片化することがズレがズレを産む、みたいなところがあるのかもしれない。だとしたら、同じトピックの場合は日付やエントリーをあらためずにどんどん同じエントリーに追加する、というのが場を拡散させないためにインフラ的には重要なんだろーなと思った。