博士ネットワーク・ミーティング@京都

2007年の第71回総合科学技術会議ではポスドク年限を制限する方針が提案され、また全国の理系大学院博士課程では学生の減少が一層加速しています。
はっきり言って今の日本、博士もポスドクも科学も研究も待ったなしの状況になっています。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20080923#p1

AAASの機能をネットコミュニティに紹介したsivadさんが、日本における科学コミュニティの再生を呼びかけています。心ある科学に関心のある方には是非ともご参加、ないしは以後お引き立て願いたい、と思っています。
残念なことにわたしは遠方であるうえにすでに来客の予定が入っていて参加できませんが*1以下、勝手ながら賛同の意志を述べてみたいと思います。
そもそも科学は地域の文化とは関係なく普遍的たるべし、という理念が科学です。一方でそこにはなぜか文化的背景のバイアスがかかっている。たとえば寺田寅彦湯川秀樹に発するような独特のクオリティを持っているというのはポジティブな面でしょう。一方で英語コミュニティから辺境にあるがゆえになぜか日本の政治家、官僚からも従属的な位置に属してしまっている日本の科学者という存在はネガティブな面でしょう。
われこそは科学者、とおもっている方ほどこうしたことから距離を置こうとするのが日本の学術文化だというのもわかるのですが、上にあるような待ったなし、というsivadさんのメッセージは、大学院拡充政策の結果として科学や工学に携わる人間が増えている昨今、その大きな変化を当事者が専門にこだわることなく共有し、これからの展開を、いまや科学とはなんであるのか、という根本的な課題も含めて考え発展させる上でとても大切なのではないか、と思っています。
同様の問題は科学や技術をその国策として発展させようとして人材のインフレがおきている一方でその苦悶を座視する政策に理系離れが加速という状況はヨーロッパの各地でもみられ、科学のあらたなフェーズが展開し始めています。今、こうしたコミュニティを日本で発足させることは科学の普遍性と地域性という矛盾を克服し、その甚大な変化を超えて科学者がより自由な存在を獲得するためにも絶好のタイミングではなでしょうか。いずれはその存在を日本の人々だけでなく世界にアピールしていってほしいな、と願っています。

リンク

博士残酷物語 研究開発人材の質量低下は当然
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/11/post_076e.html

*1:先方のコメント欄でおもわずネットブロードキャストの提案などしてしまいましたが、拙速だったかもしれません。あくまでもご参考まで、ということで。