監禁24年の国民性

オーストリアで最近発覚した実娘24年監禁事件をめぐって、同じドイツ語圏だけにドイツの新聞はどこもこの話題を熱心に報道している。事件の起きたアムステッテンという街には報道陣が殺到、家族が収容された病院では警官や掃除人に化けた記者が何人も警察に拘束されるという事態になっている。
これまで黙秘していた当事者である父・ヨゼフ・フリッツルが昨日ドイツ・ビルド紙のインタビューに弁護士を通じて答えている。

He condemned as "totally biased" media coverage of what Austrian authorities have referred to as "the worst such crime in history", adding that his treatment of his 42-year-old daughter Elisabeth and her children could have been worse. Three of the children were brought up by her in their windowless dungeon, while three grew up in the family house with Fritzl and his wife. The seventh died.
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he deserved credit for the mercy he had shown towards his 19-year-old daughter by Elisabeth, Kerstin. He claimed he had saved her life by taking her from the cellar to hospital. "Without me, Kerstin would not still be alive today," he said. "I made sure she got to hospital."

He stressed he could have easily killed the inhabitants of the cellar. "Then there would have been none of this fuss."
http://www.guardian.co.uk/world/2008/may/08/joseffritzl.austria

報道にバイアスがかかりすぎだ、というヨゼフによるコメント(留置場でテレビを見ているそうである)にはなにやらチベット報道を巡る中国当局のコメントなどを思い出して既視感を覚えてしまうのだが、上の理屈がなにしろすごいなと思う。監禁していた娘や子供たちを人しれずに抹殺することもできた、なのに危篤状態になった子供のひとりを助け、かれらを普通の世間に戻したのだからこのあたりの人間的な部分も考慮してくれ、といっているのである。邪悪なり。いけしゃあしゃあ、とはこのことを言うという感想を私は持つのだが、とりあえず言い訳をすることが一般的であるドイツ文化圏ではこの事件の極端な犯罪性を差し置けばまあ、普通なのだろうな、とも考えられる。
この事件がおきた当地、オーストリアでは二年ほど前に少女を8年間監禁していた事件が発覚したこともあり、自らの国民性を問う論評(なぜ我々の国で監禁が続出するのか)がさかんに行われている。極端な例であるが、オーストリア第二次世界大戦時にナチスの侵略・占領を受けていたトラウマが今になってかくなる症候として現れているのであるという分析などを眺めると、ナチスのせいかよ、これまたひどいこじつけだなあ、と苦笑せざるをえない*1。こうした監禁は国民性とは関係がないと私は思う。日本にしたって数年前に少女を監禁していた事件が発覚した。事件はなぜか内向きに解釈分析され、国民性の問題という意匠がたちまち与えられてしまう。事件の原因を国民性や文化論に回収することはたやすく、それを読んでなにやら納得したつもりになってしまう。より困難ではあるが人間が本質的に邪悪な部分も兼ね備えていることをまっすぐみつめるべきではないかと私は思う。

*1:追記: ウィーン駐在の日本人記者さんによるこのあたりの論調はまさにオーストリアでの論壇を反映している。quote"同国は過去、1950年の「モスクワ宣言」を盾に久しくナチス軍のユダヤ人虐殺蛮行の責任を回避し、「われわれもナチス軍の犠牲者だった」と弁明してきた。今年はヒトラーが率いるナチス軍がオーストリアを併合して70年目を迎えた年だ。その年に、今回の「24年間監禁事件」が明らかになったのは、繰り返すが、決して偶然ではないはずだ。「恨みと苦悩の魂」は「われわれが味わってきた苦悩を忘れるな」とオーストリア国民に知らせ、民族が犯した歴史事実に真摯に対峙するよう強いている、と感じるのだ。"