「日本軍」から「空気」へ

三省堂「日本史A 改訂版」の場合

さらに日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。

さらに、追いつめられて「集団自決」した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。

山川出版社「日本史A 改訂版」の場合。

島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。

島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、そのなかには日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。

以上、「沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題の資料」@世界の片隅でニュースを読む から転載*1。記述の変化は微妙である。しかしはっきりしている。要はだれがその行動を引き起こしたか、という点が曖昧になるような記述になったのだ。いわば、「空気がそれを成した」ということになる。それはもしかしたら、ものすごく正しいのかもしれない。当時使われていた『玉砕』なる威勢のよい反面雅やかに空疎な言葉は、いわば空気の醸成機械、ターボチャージャーであると私は思うからである。しかしながら、この曖昧さを上の検定後の記述のごとくそのままにして、それを現代において理解することまでもまた空気に成させるのは大間違いである(メタ空気、とでもいうか。こうして感得される歴史は悟性ではなく共感でしかない)。機械には機械なりの機作がある。したがって、上のような記述は次の条件をもってしてしか私は認めることはないだろう。すなわち、日本近代史の記述に空気の暴力について必ず詳述する、という条件である。「空気だから記述しようがない」ではダメである。空気の醸成機構を明らかにし、責任の主体を特定する。ひいては現在を反省することにもなろう。

*1:kechackさんがすでに紹介しているが、このサイトの『教科書改竄の「黒幕」』は文部科学省教科書調査室の調査官の中立性に関して目からうろこの詳細な内容が書かれている。なお、先の8月から始まったこのサイト『世界の片隅でニュース』はどの記事も実に丁寧に書かれ、実に面白い。おすすめである。