科学者・技術者連盟

id:sivadさんがもっともな指摘をしている(id:sivad:20070129#p1)。日本には科学者・技術者を代表してロビーイングする団体がない、という点。sivadさんの提言は「理系人の地位向上」にフォーカスしているのだが、そうしたロビーイングをする団体がないのは、歴史的、文化的な背景もあるだろうな、と思う。
欧米を考えると、特に米国ではいまでも科学は思想運動である。旧約聖書の創造紀を学校でおしえる、とか進化論を学校で教えてはいけない、とか主張する原理主義的な人々がそれなりの影響力があるので、科学という世界観の流布は一種の思想運動的な色彩をいまだにおびている。だからロビーイング、なのだ。一方で日本においては似非科学、というカテゴリーはあるものの、世界観の対立にはならない。日本では宗教がとても曖昧な存在であり、世界観の対立があまり現実的ではないということもあるだろう。あえて主張するまでもなく科学・技術、なのである。そこにロビーイングという発想はでてこない。
さらにいえば、歴史的には欧米で科学が発達し、それを技術として輸入したのが日本である、ということもある。輸入したものであるからその体系をどこか無機質なものとしてみてしまう。世界観ではないのだ。そこにある体系の内側で工夫したり、発展させたりするだけで、その体系が生成する、ほろびるという可能性が考慮されないことになる。あるいはそもそも体系の栄枯盛衰などどうでもいい、という日本的な感覚もあるのかもしれない。だからそれを育てる・守るという感覚は”科学的思考の危機”というよりも、即物的に”科学技術立国の可能性・危機”として扱われることになる。
以上、科学と技術という本来まったくことなるカテゴリーを、コンベンショナルな”理系”というひとくくりにして書いた。科学と技術、という二つの異なる思考法がごっちゃになっているところが、上のようなロビーイング団体の欠落の背景にもなっていると思うのでもうすこし丁寧に考えていく必要がある。とはいえ、ひとまず私はsivadさんの意見を支持する。