ヒントになりそう。
内田樹さんが赤木智弘さんの「『丸山眞男』をひっぱたきたい」を引用してつづけて次のように言っている。
ここでは「戦争」という強い言葉が使われているが、これを「いじめ」と置き換えても意味は変わらない。「自分は被害者である」という前提から出発する人間が、「すべての人が被害者になる社会」においてフェアネスが実現されるという考えに同意するのはことの条理である。「いじめ」において子どもたちは決して「正義の味方」は到来しないという冷酷な現実を痛感した。子どもたちは「正義」という概念に唾を吐きかけ、自分自身を「邪悪なもの」に塗り替えることによって、「邪悪なもの」への恐怖を打ち消し、「全員が被害者で、かつ全員が加害者」というフェアネスを選んだ。
この手法は今社会全域に蔓延(まんえん)している。憲法改定や核武装を語る政治家たちの心理は「アジア隣国によるイジメ」に、自ら「邪悪な存在」になることで対抗しようとしている「いじめっ子」のそれと酷似している。むろん、真似(まね)をしているのは子どもたちの方なのだが。
意地悪化する社会──神戸女学院大教授・内田 樹
とはいえ、”邪悪”の軸で説明すると、”真実”の軸で説明するのと同じような感じで、正誤、善悪の話になってしまうのだよな。