系譜

ミュンヘンの教授から、ちょっと解析のヘルプがいるとメールがあったのでとても久しぶりに電話した。すでに退職しているはずなのだが、いまだに授業をしたり研究をしているそうで前と変わらないという。なんともはや。元気な人である。ハーバードのあとカルテク、という米国科学エリート街道な経歴で、そのあと欧州に来てそのまま職を得て現在にいたっている。カルテクではマックスデルブリュックの元で仕事をしており、当時のデルブリュックやファインマンのコミュニティの生き生きとした日常の昔話を聴くのが私はとても好きだった。デルブリュックといえばT4ファージで分子生物学のコンセプトを作った3人のうちのひとりである。しかしながら、興奮のさなかにあった分子生物学の初期の段階で「分子生物学は終わった」と言って、環境応答の仕事に鞍替えしている。上記のミュンヘン教授は、言葉の端々から察するにこの鞍替えが理解できなかったらしく、そのことでデルブリュックとの関係がうまくいかなくなったようだ。穿った見方になるかもしれないが、彼がヨーロッパに来た背景にはそうしたこともあったのかもしれない。私がその教授の研究室で(研究室といってもいくつものサブグループからなるでかいグループなので実際には彼の指導は受けないが)これがやりたい、と研究室の方針とは少々違った環境応答の仕事を始めたときに、やれ因果応報みたいなことを何度か私にしみじみと言い、デルブリュックが最期の病床で交わした言葉などを話してくれたが、その真意らしきものを理解したのはデルブリュックの伝記を読んでからだった。
分子生物学の誕生―マックス・デルブリュックの生涯
それにしても、話すことが重要なんだなあ、と思う。私のような弟子世代と話すことでなんとなく安心し喜ぶ老境の教授、という経験をこのところ何度かした。まあ、だけどそれが大学の先生であるということの本質なのだろう。科学あるいは学問は一世代で終わる話ではないからだ。