自転車を待つ間に

フランス人の友人、ジェロームが自転車を貸してくれるというので、家まで行った。ジェロームは街の場末、ともいえる飲み屋街に住んでいる。中世の雰囲気を残すドイツ、てなことで昼は観光客でにぎわう。フィラデルフィアにはこんな場所がなかったんで、思わずここにした、と言っていたが、状況は私の大阪時代の下宿に良く似ている。細い道が交差し、夜になると活気を帯びてカラオケの怒号が響くは、泥酔した若者が暴れてうるさいは、というような場所である。
一杯ひっかけたあとに、部屋に入れてある自転車を下までおろすから、とのことで、しばしジェロームがいなくなった。その間石畳の通りでぼさっとつったっていたら、ドイツ人が「ニホンジンデスカ」と話しかけてきた。気の弱そうな顔をしていて歳のころ30半ば、女をひとりつれており、どうやらその女は日本人である。歳は40ぐらいかな、と思った。見たところ居住者ではない。しかも男女の雰囲気があまりにちがっている。別の国の人間であっても、カップルならばそれなりにどこか雰囲気があるものである。妙なドイツ人日本人カップルだなあ、と思いながらもそのまま喋るドイツ人のドイツ語をきいていたら、なんでもこの日本人女性、英語もドイツ語も喋らない、ついては彼女と話をしたいので通訳して欲しい、という。
観光客でやってきた日本人とたまたま知り合いになって、おしゃべりがしたいのかなあ、と私はひとまず解釈したのだが、引き続き話をきいていたらどうもそうではないらしい。この4年間しばしばメール交換する関係で、今回はじめて女が会いにきたのだそうである。彼が私に会いに日本まで来る、っていっていたんだけど急にこれなくなったっていうから私がきちゃった、と女はいう。男の説明によればメールで使った言語は英語だったのだが、いざ会ってみたらまったく会話が出来ない、この一週間喋ることもできなくてどうしたものか非常に困っている、と彼はいう。
そこで私は女の方に向き直って、もっとおしゃべりしたいんだって、といったら、女のほうは、でも喋れないのはわかってやってきたので、覚悟はできてました、という。”会いたかっただけ”ということなのだろうか、と私は少々当惑しつつ男に説明する。男は、でももっと彼女のことを知りたいし、そもそも彼女は私のことをもっと知りたくないのだろうか、そうきいてくれ、と私に言う。そこで私はそう女に聴くのだが、でも最初からうまく話せないのは分かっていたし、と同じことを言う。日本人は英語を書いたり読んだりはできるけど、喋るのは下手なんです、知ってますよね、と私に同意をもとめる。まあそうかもしれませんね、と相槌をうって、男にそう説明する。男のほうはだんだんと苛立ちをあらわにしはじめた。でもなんていうか、おしゃべりしたい、っておもわないのかな、互いのこををもっとしりたいって思わないのかな、と男はいう。この人がいったいなにをしたいのか、僕にはよくわからないんだ、不満だしいらだつ、とついにそこまで言明した。
そもそもヨーロッパ人のコミュニケーション強度は高い。喋り続け、といってもおかしくない。喋ることは自己表現であり、存立基盤であり、人間関係なのである。そこに「おもんばかること」ないし「空気を読む」ことを美徳とする人間が現れ、なおかつ喋るということへの強迫観念がないのであるから(強迫観念があればコミュニケーションはどうにかなるものだ)、事態は典型的なカルチャーギャップでありしかしながら深刻である。女は「私は覚悟の上でやってきたのです、がんばってるんです」と二度ほど繰り返していたが、その彼女の覚悟は彼女のものであって、男のものではない。しかも覚悟、というのは極めて日本ローカルに通用するベクトルなき受身な意志の表明であって、男はべつに覚悟をしていないのである。女が押しかけてきて家にいついて終始無言でニコニコしているがどうしたものか実に困っている、その男の困惑振りがなにやらよくわかる。喋らないとわからない、のが彼らなのだ。私にしても少々困る。間に立って手の施しようがない。押しかけ女房をどうにかしてくれ、といわれても私は町内会の会長ではないのである。
そこでジェロームが再び自転車を持って現れた。内心救われたとおもいつつ、あ、そんなわけでもういかなくてはいけないので、と私はジェロームから自転車を受け取り、男にはグッドラック、女にはがんばってください、とわけのわからない挨拶をして少々ほっとしながら家路についた。