サッカーと文化

昨夜、スイス対ウクライナの試合を後半から眺めた。0対0のまま、PK戦に持ち込まれた。その様子を眺めながら、サッカーの本質はこれだよなあ、と思う。ゴールに球をぶち込む、ということである。ウクライナPK戦で勝ったのは当然な気がする。ペナルティーキックは技術というよりも、賭博だからである。マジメなスイス人が勝てるとは思えない。新聞記事ではPK戦、という表現をしているが、PK合戦、という単語はいまだに日本で使われているのだろうか。私が小学校だったころには「合戦」といっていた。*1

小学生のころしばし私はサッカー少年団なるものに入っていた。幼稚園のころから通っていた水泳クラブと同時進行していたので、毎日サッカーか水泳、一日はかならずオーバーラップしてはしごだった。私の世代はサッカー少年というと全国的にはマイノリティだった。野球のリトルリーグばかりが世の中に席巻していたのである。Jリーグなど十数年後であるし、翼くんが少年ジャンプで活躍したのはJリーグよりもかなり前であるが、それでも私の時代ではない。そのころすんでいた街がたまたまローカルにサッカーのさかんな土地だった。中学高校も全国大会の決勝までいくことはざらで、近所の高校生がテレビに登場するのをみかけたり、数十メートル歩けば全日本代表の有名な選手が住んでいたりした。こうした事情から当時の日本としては珍しく野球とサッカーが拮抗している状況だった。私は野球が大きらいで、というのも守備にしろ攻撃にしろ、なんでこんなに待ってばっかりいなくてはいけないのだ、と私はイライラしてしまうからだった。ゴムボールでやる路地の三角ベースはすきだったが、試合ともなれば「声が足りん、もっと声を出せ」などと叱咤され意味もなく外野で叫び続けることになる。理不尽だ、とガキながら思ったのだった。その点、サッカーはシンプルだった。ゴールにぶち込めばそれで終わり。単純明快である。

そんなわけで私はサッカー少年団に入り、徐々に水泳からサッカーへとシフトしていった。チームのスタメンになり、対外試合に毎回出るようになり始めると、単純明快なはずのサッカーがだんだんややこしくなり始めた。リフティング、ドリブル、フェイント、三角パスなどの練習をやたらとやらされるようになり、いかにセットプレーを行うか、などといったことを厳しく守らねばならぬようになりはじめた。ずいぶんと馬鹿な子供だった私は、戦略とかそういったことが頭にまったくなかったので、いかにチーム全体で攻撃すればよいのか、と考えることができなかったのだが、それでもずいぶんと高級なサッカー教育をうけたものだ、と思う。

その後アメリ東海岸に引っ越して、地元のサッカークラブに入った。サッカーのあまり盛んではないアメリカである。私はいきなりヒーローになった。なにしろフェイント、ドリブルなどというものを練習したことのない少年たちの間にいきなり日本の綿密なトレーニングで練習してきた私が入ってきたのである。「バナナシュート」だの「ジーコのフェイント」だのは、クラブの南米出身の妙な英語をあやつる監督を狂喜させ、他の少年たちを呆然とさせた。マラドーナのように7人抜きでシュート、などして選抜クラブからすぐに引き抜かれた。そのころの南米の監督の練習を思い出すと面白いのだが、彼らの練習はもっぱらシュートである。細かい技はどうでもよく、とにかくシュート、シュート、シュート。ドリブルなぞも練習したりするのだが、私が日本でやっていた三角コーナー往復ドリブルのタイムを向上させる、とか、リフティングの回数をなるべく増やす、といった練習はほとんど行われていなかった。ゴールにぶち込む、ひたすらその練習ばかりだった。今考えると、細かい技術を職人的に伝達しようとする日本のサッカー少年団と、一番重要な点だけをひたすら練習する南米の監督の違いはかなりでかいよな、と思う。前者はわたしをしばしのヒーローにしたが、長期的には先日のワールドカップリーグ戦で眼にした日本代表の「ゴールにたいするこだわり」の希薄さを結果するのではないかと思う。南米的サッカー、欧州的サッカーがあるように、日本的サッカー、なのだろう。

*1:ちなみにドイツ語ではPKをエルフメーターという。直訳すると「11メートル」である。数値で表現するあたりがとてもドイツっぽい。