親知らず雑感

先日親知らずを抜いた。抜くまでの数日、あまりの激痛にイブプロフェンを頻繁に処方したが、薬の効果は5時間弱で切れるので、まともに寝ることもできなかった。抜歯から5時間ほどで飯も食えるようになり、夜の抗生物質を最後に投薬をやめた。10時間ほど出血が止まらなかったが、回復は急速で、抜歯の翌日には腫れもほとんどなく激痛もうそのように去った。思うに感染だけではなく神経を圧迫していたのだろう。抜かれた親知らずはもらって帰ってきたのだが、週末にぼけっとソファに座ってしげしげと眺めていると、こんなにでかいものが自分の口の中にあったのか、と少なからずおどろいてしまう。
レントゲン写真で眺める自分の歯列はこれまたなかなか興味深かった。私は歯の矯正などをしなかったのだが、物理的に一気に抜けた歯が多かったせいか(壁に激突、とか自分の膝で蹴って抜けた、といった理由である)歯並びは比較的まともである。永久歯の犬歯が鋭すぎてドラキュラのようだったので、歯科医が「大変危険です」とのことで削られた以外は人並みである。おもしろい、と思うのはかみ合わせの整序である。ざっとみるかぎり上下の歯列は実に見事にペアになっている。
上あごと下あごの歯はいかにして互いの存在を知るのだろうか。はなはだ不思議である。ローカルに生え方が決定されているならば、距離、高さなどが正確にコントロールされる必要があるが、世の中のさまざまな歯並びの存在を思えば、そうでもないような気がする。となると、歯が生える段階でたとえばそれが下あごの歯であれば「お、上の歯はこの辺りかな」と微妙にインターアクティブな生え方で歯が育っている、ということになる。ローカルに決定されているのではなく、ローカルにはかなりあいまいな初期条件であり、環境因子がこの場合結果する歯列を決定していることになる。
親知らずを英語でWisdom Teethという。日本語でも歯科の専門用語では智歯、というらしい。同僚には「Wisdomをなくしたか、わはは」とべたな冗談を言われる。そもそも智恵ないんでより馬鹿になっただけだ、と私は切り返す。実のところ私は「Wisdom Teeth」の由縁について考えていた。なぜWisdom Teethというかといえば、年齢的に智恵がついてくることに生えてくるから、ということに一般的にはなる。親知らず、と同じような時系列に当てはめる解釈である。しかしながら激痛のなかで私が思っていたのは、「Wisdom is pain」だった。智恵は痛みである。智恵さえなければなにも考えずに動物のように生きる。そこに痛みはない。