社会不安と右傾化

上記ワイマール時代に関する指摘と、fenestraeさんの”思えば遠くへきたものだ”には、どこか通底する部分がある。ひとことでいえば社会不安、なのだが、これはドイツも同じステップを踏んでいるように私には感じる。たとえば美濃口坦さんの”燃える自動車”の最近のエッセイから引用すると

お誕生日にトルコ人の友だちが来てくれなかった話にもどると、トルコ人に対して昔はこのような批判的な番組は制作されなった。彼らがドイツ社会のしきたりを無視するとか、またドイツ語ができないとか、そういったことをテーマにすると、極右を利するという忠告を受けたり、下手すると自身が右翼扱いされたりする危険があったからだ。

1990年ぐらいを境にしてトルコ人就学児童のうちでドイツ語をいっさい話さない子供の数が急増する。この傾向は衛星放送の発達・普及の結果である。昔はテレビもドイツ語の放送しかなかったのが、いまではトルコ本国と同じように多くのトルコ語チャンネルがドイツで受信可能になった。

「ドイツ語でもトルコ語でもいい。とにかく読み書きさへできるようになってくれたらいい」と祈るようにいった現場の先生の顔をいま私は思い出す。

ドイツ社会の雰囲気が代わって、問題点が報道されるようになったのは、それまで「多文化共生社会」の模範国とされていたオランダで2002年に自国の移民政策を批判する政党が躍進したことや、イスラム過激派による映画監督テオ・ヴァン・ゴッホの暗殺という衝撃的事件があったことがその理由である。

その頃から、多くのドイツ人に「多文化共生社会」が流行遅れのミニスカートになってしまった。今度は、多様な文化とか宗教とかいったものから目を背け、外国からやってきた新参者とその子孫に自国語の習得だけでなく、国家の成員として人権や平等といった「普遍的価値」の尊重を真正面から要求するフランス・モデルが賞賛されるようになる。こうして、自国の子どもたちが誕生日に家に入りきれないほど多数の友だちを招待することが「普遍的価値」に昇格したようである。

などと思っていたら、日本では目下ペルー人、なわけか。アブナイ、と思う。