決議三

そのあとがきの中で印象に残ったのが、次のような物理学会の歴史、「決議三」である。以下単なるメモ。

半導体国際会議組織委員会が米軍から補助金を受けたことを巡って臨時総会でなされた決議三(1966年)。
「今後内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力関係をもたない。」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/topics/ezawa50/gakushikai-7.html

60年代の日本物理学会にとって,社会との関係という観点からみて重要な出来事に,「決議三」の成立がある.1966年9月に日本物理学会が主催して開催した第8回半導体国際会議に,米軍資金8,000ドルが用いられていたことが翌年5月に明るみに出た.このことを問題視する会員たちの要求で9月に臨時総会が開かれ,提案された決議四つのうち,「日本物理学会は今後内外を問わず,一切の軍隊からの援助,その他一切の協力関係をもたない.」という「決議三」を含む三つの決議が成立した.7)

「決議三」が成立した後,委員会議では2年あまりにわたって,成立した「決議三」と現実の物理学会の運営とをどう調和させていくかが議論された.日本学術会議のかつての原子力三原則の場合とは違って,「決議三」は自分たち自身の行動に枠をはめるものである.したがって,決議の趣旨を日常的な学会運営の中でいかに具体化していくかという問題を避けることができなかった.実際,決議成立のあとすぐに,入会希望者の中に防衛大学校の卒業者がいることがわかり,入会を認めるかどうかの裁定を迫られた.米軍資金を受けた人に生物物理講習会の講師を依頼することの是非も問題となった.

「決議三」成立の背景には,激しさを増すベトナム戦争があった.当時,ベトナムで戦争を続けるアメリカや,それに協力を惜しまない日本政府へ批判の声が国民の間に高まっており,科学者たちと軍(軍事研究)との関係も,科学界の内外で厳しく問われる情勢にあった.米軍資金の問題は,新聞のスクープ記事を発端として会員の間に広まった.米軍資金の問題が「スクープ」となったこと自体,当時,この種の問題に対し社会的関心が高まっていたことの証しである.

日本物理学会の50年と社会 杉山滋郎