パラレル・ワールド

朝1時ごろまで研究所にいて、家に帰ってからグラッパを飲みつつプログラミングを続けた。酔いだすとおもしろいようにバグ続出とあいなったので、あはは、こりゃあかん、と思いながら3時ごろ寝ようと思ったら電話。ドイツ内某所の和食屋のおかみさんから。またおっさんと喧嘩したとのことで半泣きである。前に世話になっていたときの店は同じく喧嘩で「えーい、こんな店やめたるわ」、と勢いで閉店してしまった、という経緯がある。先のことを考えないという態度はあっぱれではある。私がいうのもなんだが、と思いながら、いやー、先のことを少しは考えないとね、と還暦間近の彼らのことを思って言ってはみるのだが、そうすることが難しいことも私にはよくわかる。海外にすんで商売をしている人間は刹那的な人間が多い。長期的な将来が見えにくいこともあるが、国家レベルでの社会保障が曖昧な間で生きる、というのはなかなか耐え切れるものではない。刹那的、裏を返せば極めて楽天的な人間が残りがちなのである、と私は思っている。
あのおっさんほんま純情でまっすぐやから、こうとおもうたら一直線なんや、おかみさんのことひどくゆうとるかもしれへんけど、こころのなかではえろたよってんやで、おくそこの3パーセントぐらいでちゃんと他にもうようたよるひとがおらへんこと、ようわかってんねん。せやからたよっているじぶんがいやになるんや、ほんまあんなとしで純情や、しんどいかもしれへんけどわかったってやるのもおかみさんの器量やないかな。 ・・・などと彼らと話すときにはオートで切り替わるエセ阪神関西弁が滑らかに口からすべりでて、しょげていたおかみさんは30分ほどですっかり元気になって、ほんまたまにはあそびにこなあかんで、おやすみな、と電話を切った。
かれらと長いこと付き合っていておもしろいなあ、と思うのは日本の社会が一枚だけでできているのではない、ということを知るときである。おかみさんは某広域暴力団の最高幹部の実娘であり、大阪のキタでずっと水商売をしていた人間である。水商売の中の水商売、というかそれで鍛え上げられた根性と柔軟な心性はそれまで私が全く知らなかったものであるし、一方でおっさんにしても10代から始めた料理人でそのプライドと剛直さはこれぞ職人、という一本気に感心させられる。以前彼らの店で閉店後の遅い夕飯をいつも一緒に飯を食っていたもう一人のメンバーはこれまた吉原の遊郭のボンボンで、日本初の暴走族を青山で立ち上げた人で(この話はとてもおもしろいのでまたいつか)、日本にまだいた時分にはその某広域暴力団に世話になっていたという男だった。彼ら三人の話題が政治におよぶと、私のまったくあずかりしらない話になった。コイズミ、オザワ、なんて全く登場せず、ひたすら日本全国の極道政治事情なのであり、どこどこの若頭がどこどことぶつかってどうの、といった、時々アサヒ芸能的な雑誌をパラパラ眺めたときに見かけるあの世界がそのまま日本の政治なのである。アイドルのだれそれは一晩買うのにいくらいくらやった、だれそれのほうがやすかったんやでえ、といった話をおかみさんに聞いたりすると私は、え、あの人が、あわわ、なんて仰天動地なのであるが、彼らにとってはあたりまえの話に過ぎない。その世界の事情でその世界の政治が語られ、日本の今後が決まっていく、それが彼らにとっての政治なのだった。当然、ネットなど無関係である。