「対テロ戦争」レビュー。

ル・モンドディプロマティーク翻訳ウェブ版に秀逸な小論文。「千年戦争」対テロ戦争というコンセプトに関する短くまとまった文章で参考になる。例えば...

2001年9月26日に、イタリアのベルルスコーニ首相は嬉々として語っている。「我々は自分たちの文明の優位性を自覚すべきなのだ。(・・・)これはひとつの価値体系であり、それを採用した全ての国に大いなる繁栄をもたらす。そして繁栄が、人権と宗教の自由の尊重を保障する」。この首相の考えるところ、「西洋の価値観の優位性」こそ、この価値観が「新たな民衆を制する」ことになる根拠である。そういう事態は「すでに共産圏、それにイスラム圏の一部で起きているのだが、あいにくイスラム圏の一部は1400年前の遅れた状態にとどまっている。

ならびに、19世紀末におけるアナーキストの相対的な位置と、現在におけるイスラム過激派の相対的な位置を比較した論文も同じくルモンドディプロマティークに。「アナーキストのテロに揺れた世紀末」

今日ではイスラム教徒が、19世紀の労働者のように、恐怖と侮蔑の混ざった目で見られがちである。そしてアメリカは、ジハード(聖戦)を唱えるテロリストにとって、かつてのアナーキストにとってのブルジョワ国家と同じく、傲慢と権勢の象徴となっている。この点から見ると、ウサマ・ビン・ラディンはいわば 21世紀のラヴァショルであり、信奉者には「憎悪と抵抗の息吹」の象徴に、警察・諜報機関には格好の脅威に仕立てられている。ジハード主義のテロリストは、アナーキズムのテロリストのようなものである。実際には無数の群小集団を形成しているにすぎないのに、自分たちが世間の耳目を引く行動によって、抑圧された大衆を蜂起させることのできる前衛だと思い込んでいる(5)。サウジアラビアという国は、19世紀のイタリアの役目を20世紀の変わり目に果たしているのであり、2001年9月11日は、国際社会の目をこじ開けたという点で、1894年6月24日に似る。