becoming a Japanese

つい先日のことだが、オーストリア人の若い男と日本をめぐって議論をかわした。彼は友人の弟で、空手家なのだという。なんのきっかけでそんな話になったのか覚えていないのだが、日本の第二次世界大戦における中国での乱暴狼藉その他もろもろの話題になった。そう、今思い出したが、空手から暴力の話になって、そんな話になったのだった。

空手は確かに身体精神の訓練になるけれど、いざというときに体が応答するんだから結局ただの暴力だよな、と私が言ったのが彼の勘にさわったらしかった。いや、そんなことはない、と否定する彼を、アフォーダンスの身体論から崩してしまった私が悪かったのだと思う。窮した彼はじゃあお前は暴力的ではないのか、と詰問し始めた。実際には私はそれなりに暴力的であり、殴り合いをしてしまうこともある人間であってきた。でももうしないよな、と思いながら、なおかつ議論の都合上もあって、私はひたすら完全非暴力主義的な立場をとった。殺されてもべつにいいよ、と私はいった。都合を尊重したのはこの議論がどこまでいくのか、というのが大体見え始めていたからだった。

私が感じていたとおり、彼は大日本帝国という過去をあげつらい始めた。下手に空手だけを学んでいるわけではなくて、東洋の歴史にも接しているらしく、南京大虐殺朝鮮半島における圧制について非難しはじめた。かくなる日本人が非暴力とはなんぞや、首狩り族であるサムライの末裔がどの面さげてそんなことをいうのだ、責任を感じないのか、というのである。私は感じない、と答えた。私がなした悪行ではない。私が責任を感じる必要がどこにあるのだ?と、私は逆に問い返す。オーストリア人の空手家はうろたえる。実はこうした話題はオーストリア人とドイツ人の間ではタブーに近い話題である。しかもドイツ人の場合だったら”無限に恥じ入る”。血統主義の悪癖である。二重の特殊な状況は彼をうろたえさせるに十分だったかもしれない。私は日本人だが、その時代に生きていた人間ではない。だから無関係だ、と私は言った。日本国家の責任はあるだろう、でも私にはない、と。

私はこうした場面に何度も出くわしている。いちばん最初は小学校6年生のときだった。真珠湾攻撃が卑怯である、と同じクラスのアメリカ人たちに詰問されたのだ。私はとても困った。私がずるいわけではないのである。でも彼らは私が日本人であるから、非難しているのだろう。よくよく考えて、だけど私がずるいわけではないのだ、という結論に至ったのだった。そうはいっても私は延々と日本人であり続け、過去を非難され、あるいはジャパニーズテクノロジーを賞賛され続てきた。これは不可避である。逃げることは不可能だ。そのたびに私は同じ説明を繰り返す。外国に住む、というのは鯨談議のみならず、日本人になる、ということなのである。

このようないい方をしていいかどうかわからない。少々鼻持ちならない。しかしいってしまう。日本以外に住んだことのない日本国籍の人間が「愛国心」などといっているのを見聞きするたびに、なにも知らないで幸せだな、と私は思うのだ。