というようなことを書いてからツラツラながめていたら、こんな意見みつけた。

積極的親米試論 (id:gaikichi:20040720)

どうも現在「保守」と言ってる人、それも特に年齢40代以下の人々が保守したい物の中身というのは、つきつめてみると、お爺さんお婆さんから先祖の培ってきた日本の伝統精神やらとかではなく、現状の平和で豊かでお気楽な消費文化(コンビニとマクドナルドとスターバックスとアマゾンドットコムと食玩フィギュアのある日常)のことであるらしい。
伝統保守ではなく消費文化保守主義

消費文化保守(ボキャブラリー)が平準化保守に向かっている、というようなベクトルがチラホラわたしには感じられてしまった。ありえない平準化をなぜか志向しまっているのだな。

平準化はなぜ志向されるのか。コンビニまで戻って考えると、その秘訣はあの平準化された配置(商品のラインアップではなく)にあるのではないか、と私は思う。なにしろ泥酔して見知らぬコンビニに入っても、足は自動的に、ウーロン茶ないしはポカリスエットが並んでいる一番奥に向かうのだ。そして必ずそこには、ウーロン茶がある、と信じて向かって、ほとんどの場合失敗しない。