誓いの言葉

Sing or be sacked

娘の小学校の入学式で、「私は君が代を歌ったほうがいいのだろうか」と思い悩んでいたガーディアンのマッカリー記者の、日本の入学式報告。例の卒業式での君が代不斉唱で教官200人処分に続く話題。「悩むまでもなく、子供や親は座ったままでよかった」そうなのだが、問題は解決したわけではなく、私は別のことに思い当たった。もし日本の中学校の英語教師がアメリカ人だったとして、この教師が卒業式で君が代斉唱を拒否したらどうなるのだろうか。やはり処分されるのだろうか。

アメリカのサマーキャンプを私は思い出す。わけもわからず放り込まれたサマーキャンプは、割と保守的な傾向のキャンプで、毎朝年長の子供の吹くラッパとともに星条旗が掲揚され、一列横隊でならんだ我々は「誓いの言葉」を唱えることになっていた。

Pledge of Allegiance

I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the flag for which it Stands,one nation under God indivisible,with liberty and justice for all.

小学校でも毎朝この「誓いの言葉」を毎朝右手を左胸に当てて意味もわからず唱えていた。私はあまり疑問にも思わず念仏のように一緒になって唱えていたのだが、ある朝となりに並んだ年長の仲間が、お前は日本人なんだから、別にやんなくていいんだよ、と忠告してくれた。そんなものか、と思ってそれからは並ぶだけ並んで、「誓いの言葉」はいわないことにした。小学校に戻ってからも、いわなくなった。周りの人間も、それを問題にすることはなかった。そもそも、「誓いの言葉」を毎朝生徒に唱えさせるかどうかを決めるのは教師で、隣のクラスのベトナム帰りの教師は、決して唱えさせることがなかった(20年以上前の話なので、今や様変わりしているのかもしれない)。ドイツではましてや決して「国歌国旗強制」はありえないだろう。以前母がドイツに遊びに来たときに、チロル地方まで友達の車でドライブにつれていってもらった。その車の中で、風景の美しさに感動した母がおもむろに戦前ドイツの国歌を歌い始めた。戦意高揚帝国主義的な歌で、この歌を謳うことはハーケンクロイツと同様に法律で禁止されている。あっけにとられた友人達は爆笑して、だけどそれ違法なんです、と母に解説した。母はあら、そうなの、と歌うのをやめていたが、未だに友人達はその話をする。いわゆる「歴史」があるので、現在の国旗国歌にしても一番見かけるのはサッカーやオリンピックでそれ以外にはあまり目にしない。ましてや、小中学校で強制、はありえない。フランスではどうなのかな。今度聞いてみよう。

いずれにしろ、今時「国歌国旗の強制」というのはとても珍しい、と思う。中国や韓国が「戦前の復活」と抗議するのは、これまでにもあまりに繰り返されてきた抗議なのでうんざり、な気分になるのもいたしかたない。でも、それ以外の国から眺めたときにも今回の話は、国家主義ですね、ということになる。問題は強制である。日本国内での議論はいろいろ目にするが、その妥当性はさておき日本の外から見れば単なる右傾化に過ぎない。