昨日の帰りの飛行機はガラスキで座席を3つ使ってほぼ気絶状態だったので、朝6時に目がさめてしまい、母校の購買で買った阿部和重の「シンセミア」を読み始めた。中上健次的土着サーガという触れ込みを目にしていたので、なるほどなあ、とパン屋の系譜を読みながら思い、一方で東京よりもなおトウキョウ的な地方都市における人間関係がどのように描かれるのか、ということに興味を持った。

家族やムラ的な人間関係は崩壊したのでアル、といわれて久しいのだが、関係欲求という実存に照らせば社会は崩壊するはずもなく、したがってそこにあるはずの社会を捉える言葉がないのだけなのである、と思いついた。見ている、あるいは実行しているのにもかかわらず、みないフリをしているだけかもしれないのだ。引いてだめなら押してみろ、ではないが、北杜夫なり中上健次的サーガを串刺しとみなすならば、ビリアード的にはかない球同士の関係もあるかもしれない。だとしたら軌跡を実態とし、一次微分を実存としてもよいではないか。

...と、上巻の三分の一ほどまで読み進んで、私は期待することにした。読了前からなにかを言うのもなんだが、これだけいろいろな書評が出ているのだ。事前に視点を固めておくのも面白いのではないかと思う。

http://www.sin-semillas.com/