<無知の涙>批判

「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727#1185459989
ちょうど昨年6月から同じようなことを考えていたのでほぼ一年後の今この文章を発見して、おー、と思った。この数日の「ニコニコ現実」という現実を先取りする形での自覚的無知ポジションのあぶり焼き、という内容なのだが、力技が見事に成功しているその中間部分を割愛しつつ最後のところだけ。

アナベスは、ジミーによって庇護される対象である。平時において彼女は、「永遠の嘘」の中で「無知」の役割を与えられている。だが、自分がやってしまったことの重さに耐えかねて「永遠の嘘」を放棄しようとするジミーを前にして、彼女は「無知」を娘たちに転移させることによってほころびを取り繕う。我々は、『メメント』の主人公のような便利な「コンディション」を持っていないかもしれない。だが、自ら「無知」でいることができなくなっても、こうして「無知」を他の誰かにアウトソーシングすることで「永遠の嘘」の危機を乗り切ることができる。*14
 彼女が歌い終わると、二人はまぐわう。このまぐわいにこそ、「永遠の嘘」の真実がある。歴史修正主義者がケロッと妄言を吐き、大衆がコロッと「騙される」時、深いレベルにおいてこの会話とまぐわいが行われているのだ。コミュニケーションがこのようなレベルで成立していることを見ないで、「簡単に騙される人々」を憐れんでいるオメデタイ「宥める左翼」にこそ、リテラシー教育が必要である。

教導批判ということで従来の左翼的なところに(かつそのリテラシー批判をしながらも)まとめられてしまう、のだろうか。なお今日という時点からながむれば「ニコニコ現実」すなわちまぐわい、ないしは乱交であろう。

日本の天文学、大丈夫なんでしょうか

うちの街で今天文物理かなにかの学会がひらかれていて、それぞれダブリンとスタンフォードにいるイタリア人の二人の友達が目下滞在中。飲みにでかけた。かたや観測、かたや理論の人である。そこできいた話なのだが、日本の研究者の発表が「日本には4つの望遠鏡がありますが、2つは故障中、2つは反射鏡が劣化してまともなデータがとれません。でも予算もつきそうにありません。世界のみなさん、助けてください」というスライドではじまったそうである。で、あたらしいデータとれてません、というこのとになるのだが、予算がつかないってお先まっくらだなあ。今までの有形無形のインフラをそのまま腐らせるってわけだからなんとも文化果つる話である。そういえば最近日本の気象衛星ひまわりも寿命なのだが、後継機の予算がない、ってな話もみかけた

気象庁が6〜8年後に打ち上げを予定している気象衛星「ひまわり」後継機2基の調達の見通しが立たず、30年以上も日本の空を宇宙から見守ってきた気象衛星が消えてしまうかもしれない事態に直面している。
 現行2基の予算の7割を分担した国土交通省航空局が計画から外れることになったため、管理運用を含め1基400億円とされる予算の確保が気象庁だけでは難しいためだ。

気象衛星が消滅の危機、「ひまわり」後継機に予算集まらず

イタリア人たちは、国ごとじゃなくて世界の科学者が連帯して共同機構という形で整備するのが本当はいいのだろうけど、といっていた。でも修理にかかる金なんで日本はださないんだろう。「戦略的研究資金」に集中投下していしまっているからかな。
関係ないが、バチカンアリゾナに観測所を持っていて、そこで勤務している天文学者バチカンの神父さんたちなのだそうである。アリゾナバチカンの神父という組み合わせがなんとも意外。「雲がでないように神に祈ってから観測」とかなんとか冗談いってたけど、知り合いの天文学者にイタリア人が多いのはやはり歴史なのだろうな。

ドラッグディーラーと鳩

スクーターで長距離を移動。というとパリからミュンヘンまで郵便配達用のモペットで制服姿のままオペラを見に行った名画『ディーバ』の主人公ジュールを思い出す。この映画をはじめて観た1984年ごろにはパリからミュンヘンといってもその遠さがあまりよくわからななかった。パリ→ザールブルュッケンーA8でミュンヘン、ということで車でも9時間以上かかる。スクーターでいったらどれだけかかるのだか。
その話を昨日の理論天文学のイタリア人ステファノにしていたら、ドイツに引っ越してくるときに彼はイタリアからべスパで引越そうと思っていたという。べスパでアルプス越え。自動車道が整備され、トンネルもある。ナポレオンの時代よりもはるかにラクだろうけれど、それでも結構なのぼりにくだりである。でも実際にはやらなかった、引っ越す三日前に愛車のべスパがつぶされちゃったんでね、という。この話がいかにもイタリアで面白かった。
当時ステファノはフィレンツェ郊外の村で6人の学生と一軒家を共有して住んでいた。引越しの用意で忙しい夜更けに、道路際の部屋に住んでいる友達がドアを激しくノックした。大変だ、お前のべスパが潰された、という。あわてて外に飛び出してみたら、大きなアメ車が道路標識を倒して家の庭を横切り、ステファノのべスパを路上駐車してあった車とのサンドイッチにし、その先の別の車に激突、大破している。小さな村にとっては大事故だ。運転手の若者は路上でぶったおれているが怪我はなく、どうやら完全にラリっている様子。
これは大変、と警察に電話をして急行を要請したが、村境にあるためにどちらの警察に電話してもそれは隣町の管轄、となんとも怠け者な対応。ようやく片方の警察を説き伏せ、一時間後に二人の女性警官がパトカーでやってきた。でも警官が最初にやったのが考えられぬことに、あー、このべスパ駐車違反でしたねえ、とステファノのべスパ(パニーニみたいになっていた、との説明)をさしての指摘。べスパの残骸に30ユーロの罰金の切符をきった警官にぼう然としているうちに、ようやく警官は突っこんだ車の検証を開始。運転手はたしかにラリっており、しかもドラッグのディーラーらしく小さな電子秤が車の中から発見されたが、警官はステファノに「このハイテクっぽいものなに?」と聴きにきたそうだ。
いやそれでね、その最後に激突された車はこの数日そこに停められてた車なんだけど、衝撃で位置がかなりずれてね。車の下に鳩が一羽死んで転がっていることに何日か前に気がついていたんだけど、車がずれたせいでその鳩の死骸が人目につくようになった。事故を見に来た野次馬がその路上の鳩の死骸を見てくちぐちに、売人のやくざ者は鳩まで殺した、とおそろしげにいうんだよ。なんか面白くてね、べスパは廃車になったけどなんかわらちゃったよ。
かくしてステファノのべスパによるアルプス越えの野望は頓挫したのだった。

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