<無知の涙>批判

「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828
http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727#1185459989
ちょうど昨年6月から同じようなことを考えていたのでほぼ一年後の今この文章を発見して、おー、と思った。この数日の「ニコニコ現実」という現実を先取りする形での自覚的無知ポジションのあぶり焼き、という内容なのだが、力技が見事に成功しているその中間部分を割愛しつつ最後のところだけ。

アナベスは、ジミーによって庇護される対象である。平時において彼女は、「永遠の嘘」の中で「無知」の役割を与えられている。だが、自分がやってしまったことの重さに耐えかねて「永遠の嘘」を放棄しようとするジミーを前にして、彼女は「無知」を娘たちに転移させることによってほころびを取り繕う。我々は、『メメント』の主人公のような便利な「コンディション」を持っていないかもしれない。だが、自ら「無知」でいることができなくなっても、こうして「無知」を他の誰かにアウトソーシングすることで「永遠の嘘」の危機を乗り切ることができる。*14
 彼女が歌い終わると、二人はまぐわう。このまぐわいにこそ、「永遠の嘘」の真実がある。歴史修正主義者がケロッと妄言を吐き、大衆がコロッと「騙される」時、深いレベルにおいてこの会話とまぐわいが行われているのだ。コミュニケーションがこのようなレベルで成立していることを見ないで、「簡単に騙される人々」を憐れんでいるオメデタイ「宥める左翼」にこそ、リテラシー教育が必要である。

教導批判ということで従来の左翼的なところに(かつそのリテラシー批判をしながらも)まとめられてしまう、のだろうか。なお今日という時点からながむれば「ニコニコ現実」すなわちまぐわい、ないしは乱交であろう。