この週末は日本に帰国途中のid:sueさん来訪。チベットやシベリアの話、とてもおもしろかった。話しているうちにクロスしている人がたくさんいることに気がついて世界は狭いと実感したのだった。ラッキーなことに、たまたまノルマンディフランス人が、ノルマンディからヒラメとカレイ、ブルターニュの牡蠣を持って帰って来たところ。ヒラメは刺身に、カレイは煮魚、牡蠣は生。総勢八人であっという間に食べてしまった。翌日はドイツ飯、最後の日はフランクフルトの空港にチェックインしてから街に走って、韓国料理屋でカルビ焼と、牛モツ煮込み、チヂミを食べて、お見送り。

ポスドク

理系白書’05:第3部 流動化の時代/1 漂う“ポスドク”1万人
というわけでポスドク氷河期が到来しているわけだが、平成十六年度科学技術の振興に関する年次報告

三 第一期・第二期科学技術基本計画の達成状況
(人材養成及び人材流動化)
 人材に関しては、第一期基本計画においてポスドクター等一万人支援計画を定め、また第一期・第二期基本計画を通じて、研究人材の流動性、若手研究者の自立性の向上が図られた。

なる簡単な結論で、実にあっけらかんとしている。ここで高らかに謳われるように確かに流動性は上がったけど出口がボトルネックで洪水決壊済み、というしょうもない状況なのであって、ポスドク当事者の瀬戸際状況はしばらく前に研究者の間で流行ったフラッシュ”博士の人生”などを見てもわかるだろう。解釈すればこの状況は役所の常套手段の結果である。役所原理では問題が存在しなければ予算がつかない。そこで
(1)人為的に問題を発生させる。
(2)その問題を解決するための処方が行われる。
というツーステップ。10年前に行われた大学院重点化の時も、最初に院生の数がやっためたらに増えて研究室は人間で溢れかえり、それが問題だということで建物の予算がつき、さらに院生が学位をとるころには行き先がない、ということでポスドク向けの奨学金が増大した。まずは人間を増やして問題を作るのである。この最前線である我々世代はたまったものではない。というわけで、ポスドク過剰はステップ1の段階なのである。いわば今氷河期になっている我々の世代は捨て駒なわけだと私はつくづく思ってしまう。そんなわけで、ステップ2が進行しつつあり、例えば(太字は引用者による)
博士研究員:就職支援に5億円

大学や研究所の常勤職ポストが少なく、30〜40代になっても定職に就けない博士号取得者が目立っているため。両省は来年度、ポスドクと民間企業など新たな進路とを橋渡しする新規事業に計約5億6000万円を支出し、「博士の就職氷河期」の解消を目指す。
・・・
ポスドクは博士号を取得した後に任期付きで働く研究員。政府は、研究開発能力の強化のため、ポスドクに一定の年収を保証する「ポスドク等1万人支援計画」を科学技術基本計画に盛り込み、量産化を進めた。昨年度のポスドクは約1万2500人と推計される。

などといった処方が行われるらしいけれど、要するにこれまでもあったベンチャー支援ってことで普通に就職したい人間はどうするのかね、と私は思ってしまう。上でいう流動性が高まったのは、ポスドクという狭い業界に限った話であって、社会全体の流動性が上がらなければ問題は解決しない。そんなわけで官僚的なマクロな意見としては”「過剰」なポスドクについて On 'excess' postdocs>”といった某有名生物学者による、不安定なポジションオッケーオッケー、という内容のエッセイもあったりするのだが、当事者意識ゼロなエッセイだと私は思う。おおまかにはそうかもしれないけれど、問題を抱えている当事者のボスであるという意識が筆者には欠落している。ゼッタイ安全地帯(上の世代)からこの手のこと言われると、がけっぷちの人間(我々の世代)は怒るわけなのである。”オマエにいわれたくない”、ということで。もうひとつの点は”研究さえしていれば幸せなはず”という、日本にだけある妙な前提がモロ見えなこと。出家したんじゃないんだからマトモな生活もする必要があるのである。

生物関連に限っていえば少し古いのだが
http://www.jsap.or.jp/activities/gender/2003r-chapter_report.html

 伊藤氏からは,基礎生物学分野のポスドクの現状報告をいただいた.この分野では受け皿となる企業の規模が小さく,ポスドクレベルの研究者の次のキャリアの選択肢となっていないこと,そのため,40歳近くまで複数のポスドク職を渡り歩くことが珍しくないとのこと.さらに,キャリアアップのためにはどうしたらよいかという学生・ポスドクへ向けた具体的なメッセージや,雇われ職人的な立場で安定して研究に携われるキャリアパスを用意してはどうかというユニークな提言などをされ,大変に印象的であった.

などといった現状がある。昔から言われていることだが、生物学はツブシがきかない。なのだが、政府が重視しているのはライフサイエンス関連分野であるからこうしたポスドク量産しているのである。毎日の記事でいう企業との橋渡し、具体的な策があるのかどうか実に気になるところである。

ところで
ポスドクフォーラム http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~pdforum/
なんてのもあるんですね。でもどうせなら、労働組合作ったらどうか、と思う。1万二千人いるんだから、かなりの力になる。

フランスの暴動

パリ郊外ではじまった暴動がフランス全土に飛び火し11夜目の昨夜には1400台にのぼる車が炎上した。今や放火だけではなく、散弾銃をぶっ放している若者もいるらしい。なにを勘違いしたのか、ドイツやベルギーにも波及している。きっかけはフランス郊外で警察に追い詰められた若者二人が変電所(発電所?)に逃げ込んで感電死したことにはじまるのだが、次期大統領の座を狙うサルコジ内務相が現場にやってきて、「この場所を高圧ホース(karsher)で洗浄する」と発言したのが直接のきっかけである。「悪と闘う」と彼が悪と呼称する少年達二人が死んだ現場での発言がテレビで全国に放映され、それを見た移民系フランス人の若者たちが怒り狂っているのである。したがって今回の暴動は、サルコジ対移民系フランス人の若者、という構図であり、サルコジ更迭ないし辞任が若者たちの要求である。
私の周りの意見を聴くと、これはおこるべくしておこったことだ、というフランス人が多い。2003年にサルコジが導入した警察改革が背後にある。フランスには二種類の警察があり、日本の交番のような近所の治安を取り締まる警察と、犯罪捜査のための治安警察がある。サルコジは前者を縮小し、後者を拡大した。また、警官にポイント制を導入した結果、警官達が移民系のフランス人が多く暮らす地区にパトカーで乗り付けては意味もなく若者をひっつかまえてポイントを稼ぐ、ということになった。その結果として、警察と移民系のフランス人との間に緊張が増大していたのであり、それが起爆した、ということなのだ。左翼系のフランス人のコメントは、「これは革命だ」ということになる。68年革命がインテリの自己満足だったならば、今回の革命は虐げられた人民が立ち上がっている、ということになる。
しかしながら、これはあくまでも暴動であり、革命といった趣の戦略はない。なにしろ同じ貧乏な地区に住む仲間の車に火をつけているのだ。60年代のデトロイトのように、自分で自分のものを破壊する、という暴動がある程度ピークを過ぎたころに圧倒的な治安警察ないし軍が片っ端からそこにいる人間を検挙し、これまたデトロイトのように廃墟と化すのだろう。一方でやりすぎたサルコジ自身も世論の批判の的となることは間違いない。また、イラク侵略2003に反対したフランスではあるが、今回の暴動の当事者達が「テロリスト」として扱われ、これを期に「テロとの闘い」的な意見がもたげてネオコン大喜び、てなことになるのかもしれない。

バンリュ・フランス暴動 リンクなど

昨晩は274の街で暴動、395人が逮捕されたとのこと。11日前の暴動開始以来、4700の車が燃え、1200人が検挙されている。

id:Montferrand:20051107 (11月7日・駐日フランス大使・パリ郊外で起きたこと)

id:milkbottle:20051105#p3 (11月5日付・フランスが燃えている) 経由
-> 世捨て人の独り言(11月1日付・パリ在住の方)
 
id:antiECO:20051104:1131063967 (11月4日付・パリ在住の方)経由
-> 切込隊長 パリは燃えているか

id:umkaji:20051107#p1
11月7日付・911とロンドンテロを当てたチュニジアの予言者、また当てたか、とのこと。そういえばそんな話もあった。

最初に死んだ二人の少年を掲げたサイト。
http://clichysousbomb.skyblog.com/

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事件を分析したもの。
フランスの暴動の根っこはどこにあるのか
いろいろリンクを読んでいて思ったのは、郊外の移民ゲットーに対する認識があんまりないのだなあ、と思ったこと。文化アイデンティティを守る、といったことではないのである。移民は2世・3世になっても、同じ国出身の人たちでなんとなく固まって住む。これは一番簡単には世界各地のチャイナタウンを思い出せばよい。パリ郊外の場合は、70年代に建てられた高層住宅、日本的に言えば団地がスラム化した。似たような団地のスラム化はアフリカ系アメリカ人の場合、例えばニューヨークやワシントンDCでも、かつてゲットー化していたのは記憶にある人も多いと思う。こうした移民の多いゲットーはたとえば私の同僚であるトルコ系フランス人の出身地、ミュールーズにもあるそうで、二箇所あるそのゲットーを大の男である彼が「自転車で走り抜けるのもコワイ」と言っていた。自転車はおろか、靴やズボンを奪われて放り出されることもあるという。あるいは2001年、その二箇所のゲットーの若者たちが街の中心のデパートの前で100人対100人規模のの乱闘を真昼間に行い、略奪・無差別な通行人への暴力もあったそうである。根幹にあるのは移民に対する社会政策の不備だ。政策が不備であるゆえに社会が高度に階層化し、移民が代々社会的な底辺をさまよい、「社会のクズ」といった簡単な発言をきっかけに鬱積が爆発するのである。
追記するがこの事件を見て「やはり日本への外国人労働者導入は再考すべきなんじゃ・・・」という意見を書いている方々を見かけるが、賛同できない。ほとんどの移民系フランス人は「これでますます差別が助長される」と事件に辟易しているのだ。